矢継ぎ早に行動を促すスマホの通知に人々は支配され始め、現代ではSNSやアプリによるドーパミン中毒全盛期だ。また、テレビから新しく主導権を握ったWeb広告はアルゴリズムによって個人の思考や行動パターンや欲求まで細かく把握し、自覚の有無に関わらず人々に多大なる影響を与えている。
ネット関係の企業が利益目的で人々を引きつけ続けようとするこの流れに警告をしてきた男がいる。グーグル出身のトリスタン・ハリスだ。彼は有意義な時間(Time Well Spent)という概念を提唱し、テック企業の強力なコントロールから人々を守ろうとし続けてきた。
彼の指摘通り、残念ながら我々の多くはSNSやネット広告などの支配から逃れられておらず、良質な睡眠や親しい家族、友人との会話の時間などを代価として払っている。
私は、ネットやスマホが生んだ悪影響に関して、これらのほかに、もう一点思うところがある。
Whyが奪われている
何かに追われて忙しくなってくると、自分が一体何のために仕事をしているのかわからなくなったという経験はないだろうか。
そんな時にじっくり時間をとって、そもそも自分は何のためにこの仕事をしているのだろうかとか、あるいはそもそも自分の人生はどこに向かっているのかを考え直すこともたまには必要だろう。
しかし、現代人が深い思索の旅を味わうことは現実的には中々難しい。深い内省はネット環境とすこぶる相性が悪い。最初に述べたように我々は刺激を求めてSNSや新しい情報に我知らず誘導されながら生きている。
SNSやWeb広告などでヒットしやすいコンテンツは決まっている。HowかWhatだ。美味しい食べ物や有名人のニュース、お金を稼ぐ方法やダイエットやメイクのコツなど、HowやWhatは一言で言えば、わかりやすく、答えがはっきりしている性質を持つ。
WebやSNSは、ほとんどの場合営利目的で運営されているので、結果としてアクセス数やいいね、再生数などを稼ぎやすいテーマ(WhatとHow)のものがオンライン上に溢れていく仕組みになっている。
それに対して生きる上での意義や目的のように、分かりにくい上に、人によって答えがバラバラなWhyのような情報は排除されていく。性質がWhatやHowとは完全に逆だ。結果として、ネットに極端に近づいた現代の人間は、Whyからどんどん離れていっているように思う。
まとめると、トリスタン・ハリスが言うように、有意義な時間(Time Well Spent)を我々は失いつつあるが、それだけではなく、人生における異議や目的(Why)も見失いつつある。
Whyが失われているとは?
例えば、ネット上において「出世するための5つのコツ」「お金を稼ぐ効率的な方法」というようなHowに関する情報は多くの人が発信しており、とても刺激がある。しかし、そういったテーマは「そもそも出世することが自分の人生で幸せにつながるのか」「お金を稼ぐことは自分にとってどの程度必要なのか」といったそれぞれの価値観が実は土台になる。
その個人のWhyとなる部分が明確であってこそ、Howが活きてくるというわけだ。例えば、「出世」というテーマひとつとっても、自分の気持ちをじっくり尋ねていくと色々な声が聞こえてくる。
出世自体にはあまり興味がないけど、この仕事は好きな分野で得意でもあるから、出世することで会社や社会に貢献することが出来そうなので、それなら自分の人生にとってもプラスになりそうだと最終的に考える人もいる。
逆に、自分は競争好きで上に行きたいとばかり考えていたけど、よくよく考えてみたらそれはこの仕事が好きというよりは、周りからただ評価されたいだけかもしれない。いつか、周りからの評価のために生きるのか、評価されなくても自分の好きなことを見つけたいのかで悩む時がくるかもしないということに気付く人もいるだろう。
このWhyを巡る思索に万人共通の正解はない。自分の中にしかないのだ。
だからネット上では、儲からないのでWhyに触れたがらない。その代わりに、万人に通じやすい「正論」というロジックが組みやすいWhatやHowで勝負してくるというわけだ。
「美味しいもの食べたいですよね?」「稼ぐ方法が知れたらいいですよね?」という問いにNoと答える人はほとんどいない。
ネット上にはそのようなHowとWhatが溢れているので、いつしかその情報の海の中に溺れてしまい、Whyは霞んで見えなくなる。
正論や正解というのは恐ろしく、それだけを求めることに慣れてしまうと、答えのない問いに向き合う感性自体が失われていくように私は感じている。
結果として、なんかよくわからないけど忙しいとか、とにかくやるべきことでいっぱいだとか、特に充実はしていないけど気づいたらこの年齢になっているとか、そういう状況が出来上がっていく。
起業家たちの涙
人々をインスパイアする方法を研究し、TEDでも話題になったコンサルタント、サイモン・シネックは、優れた起業家だけが招待される「タイタンの集い」という会合での出来事に関して、衝撃的な報告をした。(1)
初日、「業績予想を達成した人はいますか?」という質問が投げかけられると、参加者のうち8割の手が上がった。
しかし、そのまま「ご自分が成功したと思っている人は?」と質問が及ぶと、手を挙げている人の8割が手を下ろしてしまった。
もちろん彼らの中には億万長者など、引退しても悠々自適な生活を送れる人はたくさんいたが、実際のところ「起業してから自分は何かを失ってしまった気がする」と多くの人が報告した。
競争心や成功願望が強く、何かを証明しようとして集まるような典型的な起業家とは違い、互いを深く信頼しようとする熱意があふれていた彼らは、自分の弱さをさらけ出した。そして、集会が終わる頃にはほとんどの人が目に涙を浮かんでいた。
まるで、まだ貧しく、何かを始めようと必死だった当時の気持ちを蘇らせたいと切望しているかのように。
見失ってしまったWhy
その出来事をふり返りながら、シネックはこうまとめる。
「成功した企業のオーナーたちは、自分がしているWhat(商品や業績など)をよく自覚している。それを行うHow(仕事のやり方)もよくわかっている。だが、彼らの大半には、もう“Why”がわからなくなっている」
もちろん彼らは“Wby”なく事業を立ち上げたわけではない。
しかし、残念ながら、この起業家たちのほとんどは、当初には明確だった“Why”という大切な目的が見えなくなってしまっていた。それこそが、シネックが聞いた最初の質問の真の意味だったのだ。
つまり、「業績予想を達成した人(人や社会から成功していると見られている人)」は多かったのが、「自分が成功したと思っている人(明確な“Why”を持ち、そこに向かい続けているがゆえに自分の人生が充実していると感じている人)」は少なかったということだ。
Whyを見つける旅
Whyを見つけるためにも、できれば若いうちから多様な哲学に触れたほうがいいと私は考えている。もちろん、どこかにあるはずの正解を見つけるためというよりは、自分の中の正解を確立するためだ。
そういう時代だからこそ、瞑想やマインドフルネスが流行るのも理解できる。注目を集めているヴィパッサナー瞑想のように、俗世を絶って、10日に渡る瞑想訓練をしてこそ見える景色があるのかもしれない。
昨年、イスラエルの新聞であるハアレツ紙で、ある特集をやっていた。なんと欧米のエリートたちがカリフォルニア州サンディエゴの僧院に、仕事やパートナーを捨て、出家して集まっているという特集だった。きっと彼らもWhyを探しているのだろう。
忙しい現代人であっても、私が個人的に良いと考える内省の時間は、風呂だ。風呂ではたった独り、デバイスとも隔離した状態でゆっくりできる、現代では希少価値のある時間となった。そこでなら、何かに追われずにじっくりWhyを考えることができるのではないだろうか。
と思いきや、最近の若い層は風呂にもスマホなどのデバイスを持ち込む習慣がある人がそれなりにいるらしい。Whyと寄り添うのはなんと難しいことか。
WHYから始めよ! インスパイア型リーダーはここが違う 単行本 – 2012/1/25
参考・引用
(1)サイモン・シネック『WHYから始めよ! インスパイア型リーダーはここが違う』日本経済新聞社、2012年
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