一般に成功者と言われている人が、実は困難な境遇を通過してきたことを後々明らかにすることがある。
貧乏だった幼少時代や、不仲だった家族関係、いじめを受け苦しんだ学生時代などその経験は様々だが、その逆境をバネにして頑張ってきたと話す人は多い。
当然ながら大変な中で努力することは素晴らしいことだし、そうやって成功を収めてきたことも尊いのだが、自分の様に悲惨な環境でも乗り越えられたのだから、誰でも努力するべきだと主張するとニュアンスが変わってくる。
私は正直「頑張っても頑張れない人」が多く存在すると感じている。
成功哲学の分野では、努力は嘘をつかないから派生して、努力の質によっては裏切られることもあるとし、上質な努力を追求している。
それらの議論の前提は「人間は努力できる」であるが、果たして本当にそうなのだろうか。
努力する人の周りの人たち
基本的に努力する人の周りには、努力する人が集まる。向上心があり努力する人は、同じような人といる方が居心地が良いし、努力しない人と一緒にいても成長できないと感じる。
例えば勉強ならば、トップクラスの大学の学生は勉強することや努力することに抵抗がない人がほとんどだが、誰も名前を知らないような大学の学生たちは努力しないで今を生きる人ばかりだ。
かくして、努力し続けるほど、周りに努力しない人がいなくなる。逆に、頑張らない人は周りから頑張る人が消えていく。
頑張り続けてきた人の景色に頑張らない人が映らなくなると、努力できない人なんて甘えでしかないという発想になってくる。もちろんその発想を持つ人たちは社会の上層に固まりがちだ。
かくして、頑張れない人は本人の努力不足という正論らしきものに包まれて敗者の烙印を押される。実際に本人が努力しなければいけない側面もあるので、それを否定するのは難しい。
頑張っても頑張れない人
それでも、頑張れない人は存在すると思う。人生に対してそもそも無気力な人、どうしても貯金できずに散財する人、変わりたいけどだらだらしてしまう人…。
私は人生というのは相当に不平等だと思っていて、何かを頑張ることができるという時点で相当に恵まれているのではないだろうかと考えている。
もちろん、当たり前のように努力できる人、嫌だけど仕方なく努力する人、努力してないと自分を保てない人など、色んなグラデーションはあるにしても、それでも努力できるのだ。
違う見方をすれば、頑張っても頑張れない人がいるからこそ頑張る人が際立って評価されるともいうことができる。
こういうことを書くと、頑張らない人を甘やかすことに繋がらないかと思われるかも知れないが、その意図はない。努力することは誰もとっても大切だと思っている。
主張したいのは、頑張る人たちにとってあまり受け入れたくない頑張っても頑張れない人たちを理解することが、結果的に多くの人を幸せにする道なんだろうということだ。
ちなみに、私が頑張れない人間だからこんなことを書いているわけでもない。幸運な事に、私はどちらかと言えば頑張れる人間だ。
ただ、社会のヒエラルキーのあらゆる人と接してきて、頑張りたいけど頑張れない人は実は少なくないということを身に染みて感じてきただけだ。そしてそういう人たちにも陽が当たって欲しいと心から願っている。
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