許せない気持ち

人を憎まないように生きてきた。人を嫌ったり恨んだりするのは美しくないと思っていた。

しかし2年前、どうしても許せない人物が現れた。元々は信頼していたその人は、仕事の上司。ある一件で私のことを完全に誤解し、私の人生を大きく左右する決断を下したのだった。

それ以来、私はふとしたことでそのことがフラッシュバックし、怒りや憎しみに心が覆われる日が続いた。心の中は連日の曇天。信頼していた人物からの突然の攻撃に、私はうまく対処できなかった。

許したいし、恐らく許した方がいい。理性ではわかっている。でも、気持ちだけはどうしてもついてこなかった。

結局、私は職場を離れることになった。人を嫌わないように生きてきた私のLINEのブロック機能は、その時初めて作動した。

ハンナ・アーレントの葛藤

ハンナ・アーレントはドイツ出身の哲学者で、政治哲学の分野で鋭い思想を残したが、「許し」に関しても、理論と実践の狭間で現実を突きつけられた人物だった。

彼女は1958年に発表した著作「人間の条件」の中で、理論として「許し」の必要性を大いに説いた。

人間が行動する限り、何らかの失敗で誰かを傷つけてしまうことは避けられない。その上、そうした活動は不可逆性を持ち、決してやり直すこともできない。

そうすると、人間は行動することに対して恐れを抱き、何もできなくなってしまう。

そんな人間の活動に対して、救済策となるものが「許し」だとアーレントは捉えたのだった。

ただし、アーレントは「許し」に限度があると考え、「極端な犯罪と意図的な悪」に関しては、聖書を根拠として「許し」の範囲から外した。

そして、1963年、かの有名なアイヒマン裁判にハーレントは参席する。

アイヒマンは、元ナチ親衛隊中佐で、ユダヤ人虐殺(ホロコースト)の責任者として強制収容システムやガス室に関与していた。第二次大戦が終結すると米軍に逮捕されるも、逃亡し、10年以上潜伏生活を送った人物だ。

そのアイヒマンを密かに追っていたのはイスラエルの諜報機関モサド。アルゼンチンにて拿捕されたアイヒマンは生きたままイスラエルに連れていかれ、裁判を受けることになったのだ。

裁判にて死刑になったアイヒマンに対し、アーレントは死刑は妥当だと考えた。ホロコーストは「根源悪」であり、許しの限度を超えたものだと捉えたのだった。そう、何を隠そう彼女はユダヤ人で、シオニズム活動に協力したせいで逮捕されながら、最終的にドイツからアメリカに亡命した人物だったのだ。

彼女の説いた許しはそこには存在しなかった。

実際、自分がどうしても許せない人が目の前に現れたら、ほとんどの人がその人は許しの限度を超えていると判断するだろう。人間は極めて感情的な生き物だ。

ただし、彼女はアイヒマンを自体を諸悪の根源のようには扱わず、全体主義のシステムの醜悪さやエルサレム法廷のあり方への疑問など、多方向に冷静な考察を残した功績があったことはしっかりと言及しておきたい。

許しの範囲はどこに

ユダヤ人が大量に虐殺されたことは確かに大きな罪であろう。それならば、人をつい激情に駆られて1人や2人殺した場合はアーレントの言う許しの限度に入るのだろうか?

それで殺されたのが自分の大切な人だった場合でも?それも許しの限度外なら一体どこからは許しの限度に入るのだろうか。

アイヒマンの「悪という陳腐さ」「服従は支持である」などの鋭い哲学的観点は人類にとって大変有益であったと思うが、「許しの限度」という発想は、結局現実の前にはあまり意味をなさないと個人的には考えている。

結局は程度の差こそあれ、自分の気持ちを中心として許すか許さないかしかないのだ。

調べてみると、この世界には自分の家族や大切な人を殺されながらもその相手を許している人が大勢見つかる。その中には、ただ許すのみならず、殺人犯と涙を流しながらハグをしたり、自分から殺人犯に歩み寄った凄まじい聖人たちも存在する。

彼らには「許しの限度」という概念がなさそうだ。

許すことの真の意味

冒頭の私の話に戻ろう。2年前にどうしても許せなかった元上司との関係はどうなったのか。

現状を説明すると、完全に許すには至ってないが、恨みや憎しみは消えた。

心の中にあるどす黒い感情は消えたが、直接会うことはしたくないという段階だ。いつの日かまた笑って語り合える日が来たらいいなと少しは思っている。

完全な許しには至っていないが、ここまで来るのにも相当時間がかかった。すべてを忘れるために海外にも何回も滞在した。それでようやくこの地点だ。

そういう意味で、許せない人がいる人に対して「絶対に許すべき」などと軽々しくいうつもりは毛頭ない。人にはそれぞれ事情があるのだ。

ただし、1つだけ分かったことがある。

許せない人を許すことで、1番許されるのは自分自身だ。

許せない気持ちは憎しみや怒りや復讐心を生み出す。相手に出会ったり思い出したりするたびにそのトリガーが引かれる。それだけではなく、その相手に似ている人に出会った時や、同じような状況になった時にも心の中が雨模様になる。

その状況で1番許されていないのは自分自身だった。自分が怒りや憎しみに囚われて不幸になっていたのだった。

許せない人を許すと、負の感情から解放され、正しいことをしたという思いで満たされる。

許すということはかくも難しく、そして美しい。

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世界のスパイから喰いモノにされる日本 MI6、CIAの厳秘インテリジェンス (講談社+α新書) (日本語) 新書 – 2020/1/21

参考・引用
小林昌平『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』文響社、2018年

山田敏弘『世界のスパイから喰いモノにされる日本 MI6、CIAの極秘インテリジェンス』講談社、2020年

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら