語り尽くされて久しい習慣の重要性。日々の行動習慣が人生を決めるということで、朝活から筋トレ、食事に睡眠、多方面で効果的な習慣とは何なのかと様々な情報が渦を巻いている。
Youtubeでは、特にエンタメ性のないモーニングルーティンやナイトルーティンの動画が多くの再生数を稼ぎ、一般人から有名人まで、その習慣に多くの人が夢中になっている。
しかし、気になる点が1つある。「行動の習慣」には誰もが関心を持っているものの「感情の習慣」を考えている人が少ないことだ。
行動を変える理由を深掘りしていくと、不安や不満を無くすことや、充実感や達成感を得ることにたどり着く。つまり、欲求が満たされ、幸せな感情を得たいということになる。
例えば、朝活をして少しずつ資格の勉強をしたいと考えたとしよう。それは結局、スキルアップして稼げるようになりたい。お金があれば不安が少なくなり、欲しいものを買えて幸せになれる。といった感情に結びついてくる。
食生活を改善したいという気持ちの背後には、病気や老後に対する不安や、健康という幸せを維持したいと思いがあるはずだ。
とするならば、我々が持っている感情の癖が、そもそも無意識のうちにどういった方向に流れていくのかを理解するのは、とても本質的な話になってくる。
様々な感情の習慣
抽象的なようでとても簡単な話だ。あなたが今まで出会った人の中にいつも不平不満ばかり言っている人はいなかっただろうか?そういう人は、不平不満の思いが完全に癖になっている。
また、口を開けばいつも周りの人を妬んでばかりの人に会ったことはないだろうか?そういう人は妬みの感情がもはや癖になっている。
何も珍しいことではない。無意識のうちに爪を噛む人や、自覚ないが、ため息ばかりついてしまう人とそこまで変わらない。ただし、感情なので必ずしもわかりやすく表に現れないだけだ。
また、癖といっても方向性が逆のものもある。いつも周りと比較する、優越感や劣等感といった感情の癖がついている人もいれば、優劣という感覚が弱く、役職や年齢が下の人に対しても尊重する感情の癖が強い人もいる。
自分にどういう感情の癖があるか認識できれば、それを本人にとっていいと思う方向に変えることは理論上はできそうに思える。
感情の癖を扱う難しさ
しかし、行動の習慣を変えるのも簡単ではないが、感情の習慣を変えるのはさらに難しい。まず自分の感情にどういう癖がついているかを客観的に理解するのが難しいからだ。
もし毎日長時間ゲームをやっている子供がいたら、本人も親もそれを認識するのは容易いだろう。ゲームをするというのは目に見える行動だからだ。認識したからといって、それを変えるのはもちろん別の課題にはなってくるが、少なくとも変えたい習慣の発見という最初の段階にはたどり着ける。
しかし、子供が何かと自己卑下の感情に浸る癖を持っていても、それに親が気づく可能性はゲームよりもずっと低い。そのような感情を親の前で表したくないと考える子供はたくさんいるだろう。また、自分のうちに留めていれば、それが自分特有の癖だとは自覚しにくい。
ならば、自分の心の中に留めず、不平不満を感じて周りに吐き出している場合はどうだろうか。その場合でも、感情の癖に気づかない可能性は十分にある。
自分が不平不満を日頃から言っていると、それが嫌な人は自然と遠ざかっていく。結果として同じような感情の癖を持った人で集まると、自覚のハードルが上がる。誰でも不平不満は言うものと錯覚するからだ。
何かよくない出来事を正当化するために、人は往々にして「誰だってそうだ」と口にする。しかし、感情の習慣は人によって違う。
恐らく女性の中には「男は結局浮気をする生き物」と考えている方もいらっしゃるだろう。浮気までするかどうかは別として、常に他の女性と近付きたいと思っているのが男性だと。
昨年7月、イギリスのメディアBBCがアメリカのとある国会議員に関して報じた。「妻以外の女性と2人きりにならない」と決めている男性議員が女性記者の取材を拒否したという斬新な内容だった。(1)
ここで、その是非を論じるのは趣旨に合わないので割愛するが、要は「浮気をしたくない男性」「妻以外の女性と2人きりにさえなりたくない男性」は存在する。自己正当化によく使われる「誰だってそうだ」は当てにならない。あなたがその感情の癖を持っているにすぎないのだ。
同じように、不平不満を感じにくい人や、とてつもなく誠実な人、ほとんど怒らない人、認められたいという気持ちが弱い人など、あらゆる人が存在する。感情の癖はみんな同じではない。
感情への投資
感情というのは目に見えず、数値化もできない。述べたように、扱いもとても難しい。
しかし、結局幸せというのは、人間の実感、感情の問題である以上、自分の感情の習慣に投資するのは、いかなる自己投資よりも理にかなっていると私は思う。
当ブログでは主張し続けているが、感情にもっとフォーカスが当たる時代になると期待せずにはいられない。神秘的な難題に挑む時がきていると思いたい。
最後に、『サピエンス全史 –文明の構造と人類の幸福』の大ヒットで世界的に有名になった、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの新著『21 Lessons –21世紀の人類のための21の思考』より本文を引用する。(2)
あいにく私たちは、現時点では人間の意識の研究開発は、ほとんど行っていない。私たちは、意識ある生き物としての、自分の長期的な必要ではなく、主に経済制度や政治制度の目先の必要に即して、人間のさまざまな能力の研究開発を行っている。私の上司は、できる限り迅速に電子メールに返信することを望んでいるが、私が食べているものをじっくり味わい、堪能する能力にはほとんど関心がない。その結果、私は食事中にさえメールをチェックするし、それとともに、自分自身の感覚に注意を払う能力を失っていく。経済制度は私に、投資ポートフォリオを拡大し、多様化するように圧力をかけるが、思いやりを拡大し、多様化するように促す動機は全く与えてくれない。だから私は、株式市場の神秘を理解しようと奮闘するものの、苦しみの深い原因を理解するための努力をほとんどしない。
21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考 Kindle版
参考・引用
(1)https://www.bbc.com/japanese/48959745
(2)ユヴァル・ノア・ハラリ『21 Lessons –21世紀の人類のための21の思考』河出書房新社、2019年
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