「自分がして欲しくないことは他人にもしてはいけない」ということを子供の頃に言われたことはないだろうか。こう言われると、基本的にはそうだろうなと誰もが思う。よく聞いてきたフレーズだ。
それでは「自分がして欲しいことを他人にもしてあげなさい」だとどうだろうか。これも一見良さそうに見えるのだが、この行動は、残念ながら裏目に出てしまうことが多い。
「自分がして欲しくないことを相手にはしない」という場合に、例えその行動が相手にとって嫌ではない行動であったとしても、その行動をしないことで相手の顰蹙を買うことは多くないと考えられる。
例えば、自分は人から「お前」と呼ばれるのが嫌だから、人に対しては「お前」とは呼ばないとしても、そのことが誰かの気に触ることはないと言っていいだろう。自分が何かをしないということは、特に相手の領域に踏み込むことではないからだ。例え相手が「お前」と呼ばれても嫌じゃない人だったとしても。
ただし、他人に何かするということは、基本的に相手の領域に踏み込むことになる。そうなると、自分がして欲しいことかどうかよりも、相手がして欲しいかどうかということが何よりも重要になってくる。
両親や親戚のおじさんおばさん、あるいは上司から、求めてもいないアドバイスをもらったことはないだろうか。しかもその内容は往々にして、長々と自分語りを含むものであったり、自分にとって全く当てはまってない的外れなものだったりする。
彼らは善意でそうしている場合も多いが、結局のところ話の中心が相手軸ではなく自分軸になってしまっている。
響かなかったアドバイス
世話焼きで何かと人生相談に乗ることが多かった私は、大学時代に色んな人の話を聞くことになった。しかし、最初の時期に関して言えば、そのほとんどが手応えなく終わってしまった。
私が嵌っていたパターンは、相手の話を聞いて、自分の経験に基づいて自分ならこうするというアドバイスをするという単純なもの。一見普通そうに見えて、このやり方は相手にほとんど響くことはなかった。
その理由は、私のアドバイスは相手の気持ちや感情を置き去りにしていたからだった。相手が求めているもの、相手の隠れた本音、相手の個性や適性などの相手軸が弱く、自分がうまくいったから相手もうまくいくに違いないという独善的な価値観が強かったのだ。
そこに気づき、相手軸で話を聞くようになってから、相談に乗った時の手応えは劇的に変化していったのだった。
自分がどれだけこのラーメン屋は美味しいと思って友人を連れて行っても、友人が同じように思ってくれるわけではない。私が横浜家系ラーメンが最高だと思っていても、九州のとんこつラーメンに勝るものはないと思う人もいるわけだ。ましてや、女性にラーメンを勧めるとなると、さらに空を切ることが多い。
相手に何かをオススメする際には、自分の好みという前提は一旦捨てた方が無難だ。
欲しいものリストか私があげたいものか
ハーバード大学のフランチェスカ・ジーノとスタンフォード大学のフランク・フリンは「欲しいものリスト」に載せた贈り物と独自の贈り物に対して、贈る側と受け取る側がそれぞれどのような反応を示すのかを調査した。(1)
その結果わかったのは、受け取る側が「欲しいものリスト」をどれだけ望んでいるかを、贈る側は常に低く見積もっているという実に単純な傾向だった。
単純なプレゼント、結婚祝いや出産祝いに至るまで「欲しいものリスト」に載せた贈り物と独自の贈り物と渡した場合、贈る側は独自の贈り物をする方がいいと考えたのに対し、受け取る側は「欲しいものリスト」にある贈り物を好んだのだ。
現実においても、独自の贈り物をする人の中には、自分が本当にいいと思うものを考えて、相手が絶対に喜んでくれることを楽しみにしながら時間と労力を投資する人もたくさんいるはずだ。
しかし実際のところ、相手に何が欲しいかそれとなく聞いた方が喜ばれるのだ。善意とは、時に残酷なものだ。もちろん、この人からだったら何をもらっても嬉しいという素敵な人間関係があることは否定しないが。
大人になるということ
そう考えると、人に何かを勧めるという日常でありふれた出来事は、意外なほど難しいのだなと思う。自分の考えや経験を一旦窓の外に放り投げて、相手の景色の中に入っていくことはそんなに簡単なことではない。
服を買いに行ったときに、個人的に言われると苦手なフレーズがある。「今年の流行」とか「人気があってよく売れている」とかその手の言い回しだ。店員さんごめんなさい。そういうことを言われた瞬間にその商品が欲しくなくなってしまうんだ。
機能を重視して買いたいものであれば、確かに人気のものが欲しい。基本的には性能と人気が比例すると考えられるからだ。家電や工具であればアリだと思う。
しかし、美的なセンスを大切にしたい服でそう言われると、もうおしまいだ。私は皆が好きで着る服を同じように着たくはないのだ。この内容もこれまでと結論は同じになる。
自分がしてもらって嬉しいと思っていることと、実際相手が望んでいることは違う。それだけだ。
当ブログでも何度も取り上げているが、自分の視点を完全に置いて、相手の景色を見るという力は、コミュニケーションにおいてあまりにも重要でありながら、まだまだ注目されていない分野だと感じている。
実際、その能力が高い人とコミュニケーションを図ると、物事を伝えるのに驚くほどストレスがないばかりか、心地の良さを痛感する。
そういう力が身についてくることが大人になり成長するということだと私は思うし、それは本質的に様々な争いがなくなる有効な手段ではないだろうか。
GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代 三笠書房 電子書籍 Kindle版
参考・引用
(1)アダム・グラント『GIVE &TAKE 「与える人」こそ成功する時代』三笠書房、2014年
コメントを残す