競争による幸せから共感による幸せへ

前回の記事に続いて、競争は幸せに繋がるのか考えてみます。まだ見ていない方は以下をご参照ください。

無意味な競争や比較は誰も幸せにならない

2019年9月30日

とある会社での反省会

先日、社会人2年目の子が、1年目の時の違和感について話してくれました。新入社員たちが初めての法人営業に挑戦して、最初に契約をとった子が現れた時の話です。新入社員たちをまとめる上司が、一人一人に意見を聞いたところ、ある新入社員の子が「悔しいです」という反応。それに対して上司は「そうだよなぁ」と嬉しそうだったそうです。

しかし、当の私に話をしてくれた子は上司に意見を聞かれた時に「(他の子が契約を取れて)嬉しいです」との反応。上司は「は?」というリアクションを取り、気まずい空気に一変したとのことでした。

要は、上司は体育会系のごとく競争意識を持って切磋琢磨することが成功につながるとの発想を持っていた。

対する新入社員だった子は、契約を誰が先にとるかというのは全く問題ではなく、同期が一歩前進したことは素直に嬉しいし、会社としてもプラスだという感覚を持っていたという構図です。会社という場において競争感覚自体がないとのことです。

人の幸せを喜ぶという幸せの損失

話を聞いてとても考えさせられたのですが、私たちはいつまで他人の成功を嫉妬し続けるのでしょうか。

周りと比較することで悔しさを覚え、他人の成功を妬んでこそ力になるというどちらかというとネガティブな気持ちが生み出すパワーを否定する気は全くありません。

ただし、幸せという一点を考えた時、自分の幸せだけではなく、人の幸せを喜べるという感性をもっていたら、その人の人生には幸せなシーンが多いんだろうなぁと単純に思うのです。

逆に、人生で常に勝ち負けや優劣の世界に生きていて、自分が周りとの比較で上にいないと満足できないのであれば、幸せを感じるのはとても難しいと思わずにはいられません。もちろんアスリートなどは別なのですが…。

人間の成長とはなんなのか

人間が年齢を重ねると、教育される側から教育する側に回ってくるのは誰もが理解するところだと思います。結婚して子供ができるとしても、仕事で部下たちの面倒を見る側になるとしても、自分がプレーヤーとして中心にいるように感じる時代は、人生全体からすると意外に短いように思います。

そう考えると、人として成長するということは、周りの人の幸せを自分の幸せに感じられるということなのではないかと思うのです。

人間は自分の幸せを願ってくれる人を信頼します。多くの人の幸せを喜べる人は、きっと周りから多くの信頼を得て結果として幸せになっていくのでしょう。

そういう意味で、私に話をしてくれた子は当時新入社員でしたが、その場の誰よりも成熟していたのかもしれません。逆に、競争社会で凄まじい競争を続ければ続けるほど、成熟から遠のいていく気さえします。

もう1つのストーリー

そしてその子は、2年目となった今年の印象的な出来事を話してくれました。今年の新入社員が営業の結果に苦しんで仕事を辞めた話です。

辞めた子は、小さい頃から大学時代までを通して、スポーツで多くの結果を残してきた子だったようで、とても気が強く、負けず嫌い。それは素晴らしいのですが、会社でも自分の実績が周りよりも低いという状況に、どうしても耐えられなかったとのことでした。

この世界は、もう少し周りの喜びを自分の喜びに出来ないのか、考え、そういう人材が育つ仕組みを作ることに時間を投資してもいいのではないか…そう思わざるを得ません。人間にはそれだけのポテンシャルがあるはずです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible