私たちは本当は何を思っているのか

東京オリンピックは歴史的な大混乱の中で幕を閉じた。開催をめぐってここまで混乱したのは、東西冷戦中という政治的な理由でアメリカや西ドイツ、日本などの西側陣営の国が参加をボイコットした1980年のモスクワオリンピックや、逆に東側の諸国がボイコットした1984年のロサンゼルスオリンピック以来だろうか。

若い世代からしてみると、昔はオリンピックが政治的に利用されていたのかと驚くかもしれないが、それには値しない。

来年2022年に行われる北京冬季オリンピックには、アメリカをはじめとする自由主義の国々がボイコットする可能性が十分にある。近年非常に雲行きがあやしい米中関係に加え、中国におけるウイグル族に対するジェノサイドに対する国際社会の非難の高まりや、新型コロナウイルスの発生源として世界的にヘイトを買っている状況などに鑑みても、北京に行かない国が出ても不思議ではない。

政治的な理由によるオリンピックの不参加は、昭和を生きた世代には時代の象徴だったが、平成時代の若者たちには聞いたこともないような出来事だった。それが、令和の若者には再び当然の世界観としてアップデートされるかもしれない。

あるアスリートの不思議な世界

オリンピックで今回検討していた男子サッカーを見ていて、本田圭祐選手のことをふと思い出した。

日本人離れした強靭なメンタルを持つことで有名な彼は興味深いエピソードを持っている。

イタリアの名門チームであるACミランに移籍した時のインタビューにおいて、そのチームを選んだ本当の理由について聞かれた彼は次のように答えた。

心の中で、私のリトル・ホンダに聞きました。「どこのクラブでプレーしたいんだ?」と。そうしたら、心の中のリトル・ホンダが「ACミランだ」と答えた。そういう経緯があって、ACミランに来ました。

この発言もあり、「リトルホンダ」という概念は少し話題になったが、彼は別に冗談を言っていたわけではなく真面目に会見でこう答えたのだ。

この聞きなれない不思議な表現に、私は今になって感心している。

本当の自分と他者から見た自分

日本では、自分が何か重要な決断をするときに、他者からの目線を意識することがごく自然だ。

「人に迷惑をかけてはいけない」「周りに合わせなくてはいけない」「常識やルールに従わなければいけない」という感覚を強く教育される日本社会では、自分の人生における重要な決断さえ、周囲から願われていることや他と比較して良いと思えることなど、他者を軸として考えることが多い。

また、そうやって相互に影響を及ぼし合うのが普通と考えているからか、第三者の決断や成功や失敗に口を挟もうとする人も非常に多い。その人が会ったことも無い、自分と本当に接点がない人であろうとも、だ。

国際比較的な観点で「Noと言えない日本人」というフレーズを昔から耳にする。確かにそういう日本人は多いし、優しい国民性だとは思う。

しかし、Noと言えないのは人から何かを頼まれた場合や、何か全体の調和を乱してしまいそうな場面でのことだ。

日本ほど、他者の言動や価値観にNoを突きつける先進国は他に無いと私は考えている。悪いことばかりでは無く、相互に厳しく監視することで、治安は非常に良いと言えはするが。

さて、良くも悪くも人の目を気にして物事を判断する文化の中で生まれ育った人間が、重要な決断を前にして「自分の中のリトル・ホンダに聞く」という感覚を簡単に身につけられるだろうか。

これを読んでいる人の中に、自分はいつも「リトル・サトウ」や「リトル・スズキ」に相談していると即答できる人はおそらくほとんどいないだろう。

我々の周りにはいつも人の目がついて回っている。「リトル・タナカ」と向き合って話したくても、家族が、先生が、上司が、友人が、世間体がいつも先に私たちにアプローチしてくるのだ。

結局のところ、自分が本当に何をしたいのかわからないし、したいと思っていたことも、実のところ周囲の期待に応えようとしていただけだった。そんな若者のカウンセリングを私は何回もしてきた。

イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリによると、この他者軸という考え方は中世ヨーロッパの貴族にも見られたという。(1)

中世の貴族は個人主義を信奉していなかった。人の価値は社会のヒエラルキーにその人が占める位置や、他の人々がその人についてどう言っているかで決まった。笑われるのは恐ろしい不名誉だった。貴族は自分の子供たちに、どんな犠牲を払っても評判を守るように教えた。現代の個人主義と同じで、中世の価値体系も想像を離れて、中世の石造りの城という形で明示された。城には子供たちのための個室はめったになかった(そもそも、子供以外のための個室もなかった)。中世には、男爵のティーンエイジャーの息子は、城の二階に、リチャード獅子心王やアーサー王のポスターを壁に貼り、親が開けることを許されない、ドアに鍵のかかった個室など持っていなかった。彼は他の大勢の若者たちと大広間で寝た。彼はいつも人目にさらされており、他人が何を見たり言ったりするかを考慮に入れなければならなかった。このような状況で育った人は当然ながら、人間の真価は社会的ヒエラルキーにその人が占める位置と、他の人々がその人についてどう言っているかで決まると結論した。

「中世の貴族」をそのまま「一昔前の日本」に変えても成り立ちそうだ。もちろん城ではなく、日本家屋だったが、個室がなくいつも人目に晒されていたことに変わりはないだろう。

また、人の価値が社会的ヒエラルキーや他の人からの評判で決まるという点については、現代に至っても当てはまるかもしれない。

さて、考えれば考えるほどこの文化の中で「リトル・ホンダ」に行き着くのは簡単ではなさそうだ。

それならば、個人主義が浸透した環境ならば、人は「リトル・ホンダ」に出会えるのか?

個人主義が生み出した自我

14歳になったら親の許可を得ずに性転換手術をすることができるスウェーデンのような個人主義の毛色が濃い国では、確かに自己決定権を尊重する。

一般的に欧米人は、人の価値は他の人からどう思われるかということよりも、自分自身の中にあると信じている。こういった個人主義の発想は、一見「リトル・ホンダ」と出会うのに相性が良さそうに見える。

だが、ここで確認したいのは、「リトル・ホンダ」は決して「お前のやりたいように好きにやれ」と本田選手に自由を与える存在ではないということだ。

2019年のペプシ・コーラのCM出演時のインタビューで語った本人による「リトル・ホンダ」の定義は「自分の心の中や頭の中にいる、いわゆるもう1人の本質的な素の自分だと思う。人間は本音で言わないし、見られたくないものを隠す。でも常に本当の自分は自分に対して嘘はつかないので。」というものだ。

この「本質的」という言葉に込められる意味合いが重要だと思うのだが、本田選手のこれまでの発言を参考にすると、「リトル・ホンダ」は「お前がサッカーの練習したくないなら休め」「欧州なんて行かなくても日本で目立てばいい」というようなことは言わないだろう。

どこまでも夢の実現や挑戦をサポートし、必要ならば自分自身を後押しする存在だ。

だが、個人主義はそういった本質的な自分と本当に出会わせてくれるだろうか?個人主義が根強い国、アメリカにいた時のことを振り返っても、私はどうしてもそうは思えない。

私がアメリカで生活して特に驚いたことの1つは、肥満の人があまりにも多いことだった。しかも、数だけではなく、日本ではほとんど見ることができないような体型の方をウォルマートのようなスーパーに行くだけでたくさん目撃する。

当然健康面に関しては相当苦労しているだろう。

にどう見られようが自分がやりたいようにやるという個人主義的な態度は、人間を刹那的な欲望のままに行動させやすい側面を持つというのが私の感じたことだった。

それはそれとして、自分でそれを選択している以上後悔は少ないんじゃないの?と思われる方もいるかもしれない。

だが、実はアメリカ人が毎年ダイエット食品に費やす金額は、世界中の地域の飢えた人を全員養うのに必要とされる金額を超えているのだ。

彼らは自分の欲望に忠実であるがゆえに自分に失望する。やはり「リトル・ホンダ」と個人主義が単純に相性がいいとは言えなさそうだ。

無視された心

私が思うに、誰の心の中にもリトルと言える存在はいる。

自分が本当は何がしたいのか。どうすべきなのか。そういったことをなんとなく感じ取る能力は誰にでもあると思う。

私たちがそういう風にすっきりと思えないとするならば、それはきっと本当の自分を無視し続けてきたからだ。対人関係において無視は相手を単純に深く傷つける行為だが、残念ながら私たちの多くは、自分自身を無視し続けてきたようだ。

そうだとすれば、本当の自分の声を聞けるようになるためには何度も何度も繰り返し呼びかけ続ける必要がありそうだ。自分の傷が癒えるまで。

「リトル・ホンダ」という冗談のような表現は、極めて本質的な人生論だなーとここにきて感じるばかりだ。

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参考・引用
(1)ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福』河出書房新社、2016年

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら