現代における神話のゆくえ

『サピエンス全史』において著者のユヴァル・ノア・ハラリが述べた、人類が他の動物と比べここまで反映したのは、虚構や神話を創作し、それを信じる力があったからだという説は大きな話題を呼んだ。(1)

人類が発展するためには信頼や協力が必須だったが、赤の他人をいきなり信頼し協力するのは難しい。しかし、同じ価値観を信じていればそれが容易になる。その同じ価値観の枠組みがまさしく神話や虚構だというのである。

確かに現代においても、同じ敬虔なクリスチャンであれば、例え初対面の人同士でも仲良くなるのは簡単だろうし、それはムスリム同士でもおそらく変わらない。

しかし、ハラリが指摘するのは文字通りの神話だけではない。資本主義や人権という概念でさえ、世界中の多くの人がそれを信じているから成り立っているにすぎない。紙切れに過ぎないお金の価値を世界の人々が共通して信じているからこそ、Amazonで海外から商品を取り寄せることも可能だし、人の価値は平等だと世界の人々が共通して信じているからこそ、奴隷制度を世界中が廃止する方向に動いてきた。

奴隷制度が好ましくないなんて当たり前のようだが、その価値観を共有していなければ世界はその方向には動かない。ハラリは、普遍的な真理のように思われるものが神話に過ぎないことをハンムラビ法典を例に挙げて説明する。

古代バビロニアのハンムラビ法典では、人々は上層自由人、一般自由人、奴隷の三つの階級に分けられており、明確なヒエラルキーが存在した。それぞれの人々の権利や法律上の扱いは全く異なるもので、これを人々は皆信じていた。

バビロニア人に言わせれば、上層自由人が特別な待遇を受けることこそ人権であるし、奴隷は奴隷なりの扱いを受けることが人権だった。これは現代の価値観とは大きく異なるが、人権という概念自体が、その時代の人々が共通して信じている虚構だとすれば話は通ってしまう。

ただし、ギリシャ神話や古事記の創世神話が文字通りの神話であることを現代人の多くが理解していても、現代で信じられている様々な概念が神話的なものであるという事実は意外に見落とされている。

GDPという神話

政策に関するニュースを聞いていると、「経済成長」という単語がよく出てくる。資本主義という虚構に取り憑かれた現代社会では、経済成長の1番の指標としてGDPを神聖視し、その数値を上げるべく各国が躍起になっている。あたかも経済成長が最大の善とでも言わんばかりだ。日本は2010年にGDPで抜かれ世界で2位になったものの、今も世界3位として経済大国を自負している。

さて、GDPとはご存知のように、ある国が生産する物やサービスなどの付加価値の総計を若干補正したものだ。戦後、経済成長に一喜一憂してきた我が国の歴史があるが、果たしてこれは本質的な指標なのだろうか。

生涯に渡って宝だと思える親友がいることや、最高に愛する夫や妻がいること、有意義なボランティア活動をすること、綺麗な空気が吸えることはGDPと特に関係がない。むしろ、家の近くに美しい森が広がっていることはGDPに影響がないが、その森が商業的な目的のために伐採され、寂れた風景に変わればGDPは向上する。

オランダのジャーナリスト、ルトガー・ブレグマンは『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』の中で、GDP神話に関して次のように説明する。(2)

 GDPは多くの成果を無視する一方、人類のあらゆる苦しみから恩恵を受ける。交通渋滞、薬物乱用、不倫はどうだろう?
 それぞれガソリンスタンド、リハビリ・センター、離婚弁護士にとってはドル箱だ。GDPにとって理想的な市民は、がんを患うギャンブル狂で、離婚調停が長引くせいでプロザック(抗うつ剤)を常用し、ブラック・フライデー[クリスマスセールの初日]には狂ったように買い物にふける人だ。

それではGDPにとって、最も都合の悪い人たちはどういう人たちだろうか。

もし外食に行くことなく毎食家で料理を作り、子供の教育は塾に頼らずに親自らが積極的に教え、子供を遊園地やゲームセンターに連れて行く代わりに、自然に連れて行ったり、お金のかからない遊びを工夫するような家庭はGDPにとっては害悪だろう。

もし政府が経済成長が何よりも重要だというのであれば、そのような理想的に見える家庭ははっきり言って邪魔になる。

GDPはあなたを毎日コンビニに連れて行きたいし、毎日Amazonや楽天でクリックすることを願っているのだ。

さて、資本主義やGDPという神話の闇を痛烈に皮肉った内容を『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』の中からもう1つ引用してこのテーマは終わりにしたい。

 二〇一一年三月一一日に起きたこの東日本大震災は、歴史上最も損害額の大きい災害となった。
 だが、この話には続きがある。地震当日、テレビに登場したアメリカの経済専門家、ラリー・サマーズは、皮肉にもこの悲劇が日本経済の引き上げに役立つだろうと述べた。確かに短期的な生産性は落ち込むが、数カ月後には復興への取り組みが需要、雇用、消費を増大させるだろう、と。
 ラリー・サマーズは正しかった。
 日本経済は、二〇一一年にわずかに下落した後、翌年には二パーセント成長し、二〇一三年の数字はさらによくなった。どんな災害にも、少なくともGDPにとっては良い面があるという経済の鉄則を、日本は体現したのだ。

結婚という神話

人口問題。あまり関心を持たれていないが、若い世代からすると、日本の最も深刻な問題の一つだ。

人口の減少と共に地方の一部はもはや消滅し、労働力の低下による国力の低下はもはや統計的に避けられそうにないフェーズにまできている。

2014年に日本創生会議が発表し、日本中に衝撃を与えた増田レポートによると、2050年には日本の人口は9700万人になり、2100年には明治時代と同じ水準の約5000万人まで減少する見込みだという。

また、2040年までに全市町村1741のうち896の自治体では、20〜39歳の女性が5割以下になる。これは、その市町村が人口を維持できない、言い換えれば消滅を意味する。つまり、日本の全自治体の半数以上が消滅の危機に瀕していることになる。

さて、この人口問題についてつい2日前、少子化政策を担当したことのある自民党の国会議員の方と話す機会があった。その議員は「親が子を産みたいと思える子育て負担の小さい環境を作ることが大切」という意見をお持ちで、そういう側面もあることには同意するが、私個人としては違う視点も持っている。

それは、結婚という神話が崩壊していることだ。

一昔前は、結婚は一人前と認められるために必ず通過するべきものと見なされていたため、独身者は人権があまりなかった。そしてそれは度々幸せと結びつけられた。

しかし、親の姿を見ながら「この二人はなぜ結婚したのだろうか」という疑問を抱かずにはいられなかった子供たちは、現代の個人主義の肥大化と化学反応を起こして、結婚は一つのオプションに過ぎないという考えを許容されるに至っている。

結婚をすれば幸せになれると期待して結婚をした人たちの「こんな人と結婚するんじゃなかった」「人生最大の失敗」という言葉が結婚という神話を完全に崩壊させている。

東京ガスの都市生活研究所の2008年の調査によると、20代の夫婦が同じ寝室で寝ている割合は93.3%だが、30代の夫婦になると85.1%、40代の夫婦は75.4%と着実に低下していき、70代の夫婦になると52.6%まで下がり、ほぼ別室で寝ている夫婦と同じような割合になる。(3)

おそらくあまり変わらない気がするが、もっと新しいデータを探してみると、SUUMOによる2017年の調査を発見した。夫婦の寝室が同室である割合は、20代、30代、40代、50代の順に91.7%、72.9%、63.6%、63%と着実に低下している。(4)

これが何を意味しているか、露骨に表現するのはあえて避けよう。少し周りくどい言い方をするならば、一緒の部屋では寝たくない人と一緒に家族として生活しているのだろう。

多くの若い世代は、こういった結婚の闇にすでに気づいている。「結婚しなければ一人前ではない」「結婚すれば幸せになれる」などの神話は「いい大学や企業に入れば人生安泰だ」などの神話と同じく、形だけを取り繕うことを重要視してきた古い物語だと認知され始めている。

それでは結婚はもはや無意味で形骸化した制度なのか?

私はそうは思わない。結婚して深い幸福を味わっている人もいるのだ。ただし、結婚すれば幸せになるのではなく、お互いを理解し受け入れ、愛することを実践するから幸せなのだ。

そのためには愛することを学ぶ必要がある。しかし残念ながらそこに人々の関心は薄い。愛されることや評価されること、ビジネスで成功すること、今をただ楽しむことで人々のメモリはいっぱいいっぱいなのだ。

崩壊していく数々の神話

結婚や進学、就職の他にもリアルタイムで数々の神話が崩壊している様を今の若い世代は目撃している。

昭和にはマイホーム神話なるものがあったようだが、信じられない額の金利を払って35年ローンを組み、身動きも取れないまま働き続けて35年後に返済が終わったと思った時には家は老朽化しており、修繕費に数百万かかったりする。

ちなみに3000万円の家を2%の利率で35年のローンを組むと利子だけで1200万円近くにもなる。もちろん不動産会社にではなく銀行に払うお金のことだ。私にはホラーにしか聞こえない。

また、ある一定の年齢以上の男性と接すると、お酒もタバコもやったことがない人はほぼいないことがわかる。おそらく彼らの時代には、大人になったらお酒やタバコに手を出すのが男だという神話的な空気感があったのではないかと予想される。

経済的、健康的なリスクを誰もが違和感なく背負うという神話の恐ろしさを現代の視点から見ると感じる。将来的には、飲み会さえも先進的なコミュニティからは排除されていき、現代の喫煙者のような選択的な社会になるのだろうなと個人的には見ている。別の記事で書いたが、すでにアメリカの若者の中には、お酒を飲まないというアイデンティティが受け入れられつつあるようだ。

様々な神話崩壊の背景には、個人による情報発信が爆発的に増えたことが間違いなく関係している。

インターネットのない時代は、情報発信の主体がテレビや新聞やラジオなどに極端に限られていた。どれだけ影響力のある人物がいたとしても、それらの媒体を通さなければ大衆には伝わらなかった。

故に、メディアは株主やスポンサー、あるいは国にとって都合のいい情報のみを流すことができたし、それに明確に反対する意見を伝える手段は誰にもなかった。そういう意味で、インターネットのない社会は実に神話が作りやすかっただろう。テレビに映る芸能界やニュースだけを誰もが見て、それが一つのモデルだと考えていたのだから。

しかし現代は違う。例えばある職業について率直な情報が得たいと思えば、その職業の個人Youtuberが光と闇の部分をありのままに説明してくれている。

彼らはテレビと違い、スポンサーに配慮する必要もなければ、界隈の複雑な人間関係に配慮した発言をする必要も一切ない。むしろ率直な情報ほど有益とみなされて多く再生され高評価を得る。

また、Youtubeはテレビと違い自浄作用がある。偏った情報や虚偽の情報を流せば、コメント欄や評価数などにすぐに出てしまう仕組みなのだ。彼らが嘘をつくメリットはあまりない。

このように多くの神話が崩壊し、洗脳が解かれていく中で、それでも価値あるものとして残っていくものはなんなのだろうか。現代は膨大に膨れ上がった情報の中から、確かなものを探していく時代なのだろうなと感じている。

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隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働 (文春e-book) Kindle版

参考・引用
(1)ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福』河出書房新社、2016年

(2)ルトガー・ブレグマン『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』文藝春秋、2017年

(3)https://www.toshiken.com/report/home35.html?_ga=2.29501631.1443490611.1618670572-257117740.1618670572

(4)https://suumo.jp/journal/2017/11/08/144760/

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら