深い人間関係不要という最近の風潮に関して思うこと

「友人はいらない」「人に期待しない」「人に依存しない」など、親密な関係不要論的なメッセージが、ここ数年で少しずつ目立ってきているように思う。その中でも、どのくらいの人付き合いが必要だと思うかはグラデーションがあるが、肌感としては、程々の人間関係を複数保っておくのがよいという意見が多い印象を受けている。

もちろん、人それぞれの考え方があると思うので、結果的にこういう思考にたどり着く分には自由だ。しかし、人生経験のあまりない若い層が安易にこの意見に乗っかるのはどうだろうかという思いもあり、この意見の背景および全く違う価値観である自分の意見を残しておきたい。

深い人間関係不要論が台頭する背景に関して、私の思う論点は2つ。1つ目はネット社会になったことで、独りで楽しめる環境が整ったこと。もう1つは、人間関係の煩わしさだ。

独りで楽しめる環境が整ってきたということに関しては、あまりここで触れるつもりはない。ネット社会は、独りで時間を費やすことを目的とした場合、あまりにも都合がいい環境だというのは誰の目にも明らかだからだ。

問題はもう1つの方、人間関係の難しさだ。ここには議論の余地がある。

人間関係という難しさ

嫌いな人がいないと胸を張って言える人は珍しいと思うくらい、人間関係は難しい。特に、集団の中での関係性となると、同調圧力やマウントの取り合い、理不尽な上下関係や比較による劣等感や妬み、信じられないくらい自己中心的な人間の存在など、人間関係の面倒臭さを誰もが体験する。そして、集団に所属している以上はそういった現象を避けるのが難しい。

また、話を複雑にするのは、上記のようなわかりやすい面倒臭さではない。一度親密になった関係から、まさかの破局、裏切り、衝突などが起きることで、大きなダメージを受けるという経験を誰もが通過する。場合によっては、お互いに対する恨みや憎しみのバッドエンドを迎えてしまうこともある。

こういったことを考えると、深い人間関係不要論者の気持ちや言い分が別にわからないわけではない。もしかしたら、そのように考える人ほど今までの人間関係で大きな傷を負ってきた人かもしれない。孤独を善とする代表格であるニーチェの人生を追ってみると、まさにその典型だ。

私自身も、これまでの人生で信じられないような裏切りや誤解にとても苦しんだ。そこはもちろん理解したい。

人の成長には時間がかかる

しかし、人間関係はとにかく面倒だから割り切ろうぜというのは、その人の成長の余地や、深い人間関係の実感の機会を大きく奪ってしまう可能性がある。

深い愛情や友情で結ばれた一対一の関係にたどり着くためには、人間関係における努力や練習が不可欠だと考えている。もし誰かとの関係がうまくいかなかったら、相手のせいだけにしていては一切成長しない。自分の何がまずかったのか、どういうところに自分の成長の余地があるのか。相手の見ていた景色はどんなものだったのか。誰に言われなくとも考えていく必要がある。

学生時代にテストが返却されて、自分はどういう問題をなぜ間違ったのか、ミスの傾向は何なのかをしっかりと復習した上で次につなげるのとそんなに大差はない。

ただし、テストの予習や復習と違い、人間関係における予習や復習は、大切であるにも関わらず親や先生が教えてくれない。そこにはっきりと違いがある。

誰もが経験してきたように、一度テストの復習をしたからといって劇的に点数が伸びるわけではない。復習を習慣にしながら、少しずつ時間をかけて学び続け、わかるようになっていく。どうしても成長には時間がかかる。

人間関係も同じだと思う。自分の感情にどういう癖があり、どうマネジメントしていくのか地道に反省を繰り返していく。困難にぶつかることこそが貴重な成長機会だ。10代や20代で深い人間関係に充実を覚える人ばかりではないと思う。時間はかかる。

そして、理解できるようになってこそわかる勉強の楽しさという感覚が存在するように、自分が人間として成長してこそ実感できる充実した人間関係が存在すると私は考えている。

素晴らしい人に出会った時に、その素晴らしい人に素晴らしい人と自分自身が認識されなければ良質な出会いにはならない。良い人と仲良くなるためには、良い人から見て自分が良い人でないと意味がないのだ。そのためにはいちいち人のせいにしている時間がもったいない。たくさんぶつかって成長につなげる必要がある。

「深い人間関係は不要」という人たちがいる一方で、「深い人間関係によって自分自身が成り立っている」と感じている人もいる。私もその1人だ。幸せな時だけではなく、困難な時に惜しみなく自分を助けてくれた人たちのおかげで今生きている。将来的には、自分を助けてくれた人たち一人一人に対してお礼を丁寧に伝えて周るような旅がしたいと思っている。

私には妹がいる。妹とは地理的には離れているが、毎日のように連絡を取り合っている。別に義務でもないし、特に用事があるわけでもない。ただ日常を分かち合っているだけだ。会った時には歩く際に、妹から腕を組んでくる。驚かれて初めて知ったのだが、私たちの中ではこれが自然な距離感だ。

妹のみならず、仲の良い人たちとは基本的に距離感が近い。それを重くて気持ち悪いと感じる人もいるだろうし、不快に思う人もいるだろう。それでも、深い人間関係不要論がどうやら台頭していきそうな気配を感じる中で、そんな幸せの形を実感している人がいるのだと思ってもらえればありがたいと思う。

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら