正す人多すぎて許す人いない問題

ニュースを騒がせる様々な問題。不祥事を隠蔽したとかで毎日のように日本中が騒ぎだす。

もっとこうすべきだったとかありえないとか間違ってるとか専門家やコメンテーターが批判してそこに同調するのが日常の風景ですが…。

誤解を恐れず言います。これだけ失敗や過ちを人間のクズと言わんばかりに全員で叩きにかかる日本社会であれば、そりゃ隠蔽体質になるし、実際に隠蔽もするのではないでしょうか。

もしあなたが問題を起こしたら

考えてもみてください。皆さんが社会的な何かしらの問題を起こしてしまいました。様々な利権や人間関係が絡み合った複雑な事情がありましたが、確かに責任はあなたにあります。

それが明るみに出ることで、あなたは社会的に殺されます。マスコミから一斉に報道され、知り合いは離れ、あなたの名前は誰もが知る呪われた名前となります。あなたにとっては不幸な事情が絡んでいましたが、その部分はメディアには取り上げられません。

さて、どうしますか??

私自身もそういう立場には立ったことはないですが、隠蔽するかどうかは別として隠蔽してしまう気持ちはわかりますけど、皆さんはどうでしょうか。

人のことを言える自分なのか

被害者や関係者から責められるとか、しかるべき司法の場で裁かれるということは最もだと思います。別にそれを否定しようとは全く思っていません。償いは必ず必要です。

我々は少なからず、人に言えない良くない部分があると思います。人に見られたくない一面があると思います。そして法に触れてるか触れてないかは別として、誰かを傷つけたり、良くないことをした経験があるはず。

また、第三者が当事者にしかわからない事情を知ることもなく、とにかく批判するのはどうなのかなぁ…と感じます。問題の背後には、一概に誰が原因と言いにくい複雑さが絡んでいるということが往往にしてあります。

正す人と許す人の比重

ここ日本には、誰かを裁き正す人や場は多くても、誰かを許し受け入れる人や場が少なすぎるような気がしています。

性悪説を中心として見る人は、悪いことに対して決して看過してはならない、そうでなければ悪いことを繰り返すようになる、と考えるのでしょう。ただ、性善説的に考えると、過ちを許されてこそ良い方向に生まれ変わる人も必ずいます。

どちらだけが絶対ということはないと思うのですが、少し日本のバランスは偏ってるなぁと気にしています。

私自身、少数派のHSPである上に、発想や思考が昔から型破りすぎて常識にとらわれないところがあり、日本社会への適応にとても苦労した部分があります。

そういう自分を一方的に正すことなく受け入れてくれた両親をはじめとする人たちのおかげで私は今ここにいますし、それを思うと胸が熱くなります。受け入れられて許されてきたという実感が強く、本当に感謝しています。

繊細な内容を第三者に話さざるを得ない事情

カウンセリング以外でも、様々な相談を私的に受けることが多いのですが、その中にはやはり繊細な内容があります。

本当は、ご家族や仕事の関係者などにお伝えした方が…と思える内容もあるので、そういった方々にはお話ししたのですか?と聞いてみると、よくこのような返事がきます。

言えないんです。言ってもそもそも相手に結論ありきで正してきて、理解しようとか受け入れようという気持ちがないので、何を話しても無駄なんです。と。

簡単に正さないで受け入れてくれる、許してくれる人に人は密かに集まってきます。中には、初対面であったり、知り合って期間が短いにも関わらず、切実な事情を吐露して下さる方々もいます。そのたびに胸が痛くなります。本当は私ではなく、もっと身近な人に受け入れてもらえたらどれだけいいだろうかと。

許す側にとっても、許せなかったことを許せるようになることが、人間としての一つの成長だと思いますし、そういう器が人間関係をより充実したものにしてくれると感じています。

もっと許すこと、受け入れることが文化として根付くことを願ってやみません。

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ABOUTこの記事をかいた人

IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible