正しいことを正しいと言うことが必ずしも正しいわけじゃないという話

最近ビジネス界隈では、利益やKPIなど論理的に正しい指標を真っ先に追求していくことの限界に関して論じられており、逆にセンスがいい、面白い、ワクワクする、などその人の芸術的な感性や価値観に訴える定性的な要素が注目を浴び始めています。

私は、日々のコミュニケーションにおいても「論理的に正しい」という意味を考え直す時期に来ていると考えていて、端的に言うならば、正しいことを正しいと言うことが必ずしも正しいとは限らないということを強調したいと思っています。

人によっては、そんなの当たり前じゃないですかと感じるかもしれないのですが、正しいことを正しいと言うことはそりゃ正しいでしょと考える人は確実にいます。自分が正しいと思ったらすぐに相手を正さなければいけないとか、やたら論破したがるとか、正論を言うことが何よりも重要だという風潮を感じることが個人的には多いです。

宿題をやりなさい

さて、考えてみましょう。とある小学生が家でゲームをしていました。もうそろそろゲームをやめて宿題をしないとなと思ったところにお母さんがやって来て「ゲームなんてしてないで早く宿題をしなさい」と強い口調で話しかけてきました。

結果として、せっかく自分から勉強をやろうと思っていたにも関わらず、お母さんからまるで勉強する気が無いと決めつけるかのような発言をされた小学生の子はやる気を失ってしまい、勉強するのをやめて寝てしまいました。

これは多くの家庭でよくあるような話ですね。お母さんの、宿題をやらずにゲームをやってた子に対して宿題をするように促した発言は、意味としてはどう考えても正論です。疑いようもなく正しい。それでは、正しいことを正しいと言ったことがこの場合正しかったのでしょうか?

相手が受け入れられるかどうか

カウンセリングをやっていると、相手に言うべき内容がはっきりしてても、それをその場で相手に言うべきかどうかはじっくり考えます。時にはその場では言わないこともあります。

大切なのは、相手が受け入れられるように伝えることで、相手が受け入れられないのであれば、それをあえて伝えずに本人が悟るように考えさせたり、時を待ってみることも重要になると私は考えています。正しいことを正しいとその場で伝えてしまったが故に、相手が感情的に受け入れられずその正しいことから遠ざかることや、それだけではなく言われた人に対する嫌悪感や心の傷になることもあるからです。

特に、厳しい内容を伝えなければいけない場合は、自分が感情的にならないこと、相手との信頼関係がしっかりあること、相手がそれを受け入れられる状態であること、などを慎重に観察します。私は、たとえ厳しい内容だとしても、相手が受け入れられるように伝えることが愛情だと思っています。

仕事で上司が部下にとてもキツい指導をして、「部下のためを思って言ったんだ」と主張することがありますが、重要なのは上司が部下のためを思って言ったか否かというよりも、部下が上司は自分のためを思って言ってくれたと受け取れるかどうかなんですよね。

この手の上司は、この指導方法で後から部下に感謝された経験をもって、自分のやり方は間違っていないと判断しますが、マイナスのフィードバックは入ってこないことに気づいていない。その上司の指導で深く傷ついた部下は、二度と心を開いて本音を話したりはしないでしょうから。

悪いことを言うと正されると思っている若者たち

カウンセリングの話に戻りますが、とても本人にとって繊細な話を告白してくれた時にじーっと話を聞き続けていると、「怒らないんですか?」と言われることがあります。詳しく聞いてみると、こんなことを言ったらあなたが悪いと怒られ正され、受け入れてもらえないのではないかと怖かったと言ってくることがあるのです。これまでよほど正されて生きてきたのかと思うと胸が痛くなります。

私も時々、日本が一億総検察官社会のように思えて仕方ない時があります。あまりにも何でもかんでも正したがるので、ワイドショーさえ怖くて見られません。(これは私がHSP だからというのも大きいでしょうが…)

私は正論を言ったり、正しいことを正しいと主張することが何も必要ないと言っているわけではありません。相手が受け入れられるような表現の工夫や状況の判断が必要だと言っているだけです。

また、正す対象がコトであったりモノであるのならばいいのですが、ヒトであるならば慎重になるべきだと思います。ヒトには感情があります。深い傷がつくことも、反動で恨むこともあります。何とも難しいのですが、感情的なところが人間らしいところではないでしょうか。

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ABOUTこの記事をかいた人

IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible