教皇フランシスコと謙遜の伝統

去る11月23日から26日まで、ローマ教皇のフランシスコが来日しました。カトリック教徒は大変少ない日本ですが、宗教界の大物ということで大きな話題になりました。

フランシスコ教皇といえば非常に謙遜で、教皇という高い位を持ちながらも清貧を好む庶民的な感覚の持ち主として有名です。

元々キリスト教が大切にしている価値観の一つが「謙遜」ということなので、もちろんそういった影響があるのだろう思います。せっかくなので、今日はカトリックの聖人が示してきた謙遜という美徳の世界を紹介したいと思います。

といいつつ筆者はカトリック教徒じゃないので、細かい宗教的な解釈に関しては無知であることを述べておきます。

謙遜であるということ

まず、謙遜であるということについて皆さんはどうお考えでしょうか。先日、若い世代になるほど、自分の弱みを隠さない人の方がかえって信頼を勝ち取り始めているという記事を書きましたが、謙遜の評価もそれに関連して上がっているように感じています。

弱さを誇る若者たち

2019年11月22日

謙遜であるということは、自分の意見や信念を持っていたとしても、それが間違っていた場合は客観的に手放すことができますし、相手の意見を尊重することができる。

こういった態度を持っていた場合、未知の内容に対する学習能力は非常に高くなることが容易に考えられます。さらに双方が謙遜であれば、学びの大きさもさることながら、心理的安全性まで保障されやすいはずです。

謙遜という感情特性に関しては、これからも扱っていきたいテーマなのですが、話を最初に戻し、「謙遜の三段階」という内容を定め、私心をなくし謙遜であろうと努めたカトリックの聖人、イグナチオ・デ・ロヨラのエピソードについて触れていきます。

イグナチオの信念

現教皇のフランシスコはイエズス会の出身者ですが、イエズス会の創始者の1人として、日本人に馴染みがあるのはフランシスコ・ザビエルではないでしょうか。

そのザビエルに聖職者としての道を歩ませる上で決定的な影響を与えたのが同じパリ大学で学んでいたイグナチオでした。

イグナチオもイエズス会創設者の1人として数えられますが、イエズス会発足の1番の中心人物は間違いなくこの人で、共同創設者たちはイグナチオの指導に多大なる影響を受けていました。

イエズス会の初代総長を決める最初の投票では、イグナチオを除く全員が彼に票を投じました。しかし、イグナチオ自身は自らは不適格として、辞退と再投票を申し入れます。

さらに3日後、再び投票が行われるも結果は同じでした。イグナチオは重ねてこれを辞退するも最終的には受諾します。それは、日本で見られるような周りへの配慮からではなく、自分は不適格者であると彼自身がみなしていたからでした。

その10年後にも、彼は再び辞任願いを出しています。理由は「自分は多くの罪と多くの不完全さと、内的にも外的にも多くの弱さを持っており、総長としての資格をほとんど皆無と言っていいほど備えていないから」というものでした。

現代でも権力にしがみつくという争いがどこかで必ず毎日起こっていますが、イグナチオにはその発想は全くありませんでした。

彼は、キリストに仕えるという宗教的な目的ですが、「賢者と思われるよりは、無用の愚者と見られることを望み、(キリストと同じように)名誉よりも侮辱を望む」という凄まじい信念で生きました。

彼は決して、自分に自信がないとか自己嫌悪であるからそういう態度でいたわけではありません。また、繰り返しになりますが周りに気を遣って遠慮したからそうなったわけでもありません。傲慢になることを醜く感じ、謙遜であることを 真に美しい態度と悟ってそうしていました。

近代に見るような、圧倒的な自己主張や政治的な能力でリーダーとしてパワーを持っていくケースとは全く逆で、一切の権力も私物化せず、愚者であることを隠そうともしなかったイグナチオの存在が圧倒的な影響を周囲に与え、イエズス会を生み、色々な反対を経ながらも結局今日の教皇に至るまでその流れが受け継がれています。

マハトマ・ガンジーなどもそうですが、イグナチオも自伝で自分の過去の言いづらい罪を軽々と告白してしまっており、そのあたりの態度も庶民の感覚とかけ離れたものがあります。

謙遜というのは人間の中で最も美しい特性の一つだと感じます。イグナチオの内容はあまりにも浮世離れした内容ですが、まずは自分自身が自分に嘘をつかず、等身大の自分で生きていきたいものです。

参考・引用
イグナチオ・デ・ロヨラ『ある巡礼者の物語』岩波文庫、2000年

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible