承認欲求との付き合い方

皆さんは自分や周りの人の承認欲求に悩まされたことはあるでしょうか。承認欲求は誰にとっても身近なテーマで、時に厄介なモンスターになります。今回は、アドラー心理学にも多少触れつつ、承認欲求をどう理解しどう付き合うべきかという問題について考えます。

承認欲求は必要か不要か

『嫌われる勇気』により日本でも有名になったアドラー心理学は、承認欲求の否定を特徴とし、承認欲求は必要ないとします。その理由は、他者からの承認を求めるようになると、他者の期待を満たすための人生になってしまい、自由に自分の人生を生きることができなくなってしまうというものです。そういう意味で、他者から嫌われてでも自分の人生を生きる勇気を持とうということで、これは特に同調圧力の強い環境に生きている日本人にとって、いい意味で衝撃的な内容だと思います。

私個人の意見としては、他者の期待を満たすことが目的になり、自分の自由な選択ができなくなる人生に反対という意見には大賛成ですが、承認欲求が不要であり承認欲求のない人間になるという部分に関しては反対です。

そもそも、現実的な話として承認欲求のない人間になどなれるのでしょうか?個人的には他者から承認されたいという欲求があってこそ人間らしいと感じますし、それをなくすというのであれば無人島で独りで生きるなどの極端な選択肢しか思い浮かびません。

私自身、もともとそんなに他者からの評価が気にならない方でしたが、それでも家族をはじめ愛情や信頼で繋がっている近い人たちからは承認されたいと強く思っていましたし、今でもそう思っています。弱いと言えば弱い人間です。

ですが、そういった人たちの私に対する承認のおかげで逆境や困難を乗り越えて今生きていると実感していますし、それがもしなかったらと思うとゾッとします。

何を承認すべきか

私が思うのは、承認欲求自体が悪いものではなく、何を承認するべきなのかという観点こそが1番重要だという点です。

一般的には、承認欲求を満たすためには、努力した結果など何らかの条件を満たすことで周囲から認められる必要があると思われます。つまり、無条件には承認欲求が満たされないと感じるからこそ努力して認められようとするわけです。

そういう構造だと、承認欲求が努力のためのモチベーションになる可能性があるとは言え、アドラーが指摘しているように他者の期待のために自分を抑圧する人生になりかねません。

では承認する側が、条件なしに自分の子供や生徒や部下、弟や妹などを承認していったらどうなるでしょうか。努力したからとか結果を出したからではなく、その人の存在そのものを尊重し、承認していく。

そうすると、結果を出さなければ自分に価値はない、頑張らなければ愛されない、認めてもらうために決して弱いところを見せてはいけないと思っている人たちが救われていきます。結果として、歪な承認欲求の強さに困る人が減るのではないかと考えています。

不自然な承認欲求

カウンセリングをやってきて思うのは、不自然に承認欲求が強い人には明確な特徴があります。心理学でも言われるところですが、愛情不足です。愛情不足といえば少し抽象的なのでもっと具体的な表現に変えますと、無条件に承認してくれる存在に出会えていないという感覚でしょうか。

人間は生まれてから親や祖父母、先生など自分を承認してくれる存在に出会いますが、その愛情の形が歪んで子供に伝わってしまうことがあります。例えば必要以上に厳しくしつけられるとか、学力のことを口うるさく追求されるとか、周りの同級生とよく比較されて評価されるとか、そういった環境で育った場合です。その場合、自分が頑張る、いい点数を取る、周りより優れているといった条件があって初めて自分は愛され認められると子供は当然錯覚します。

ところが、自分がいつも評価されるような結果を生み出せるはずはなく、自分は承認欲求が満たされないという感覚にいつも飢えているような状態になってしまいます。これは仕方ありません。特に愛情表現が苦手な日本では要注意です。

親子関係に悩む大学生たちの相談に乗ると、自分が真面目に勉強していい成績を修めなければ親は自分を愛さないだろうと本気で信じている子たちがたくさんいました。もちろん、よほど変な親でない限り、基本的に親は子供を愛しているはずですが、子供にとってはかなり偏った条件付きの愛を受け取っている場合があるのです。そういった子供たちに、親はあなたがたとえ勉強を頑張っていなくてもあなたのことを大切に思っているよ。と伝えても、残念ながら意味がわからないというリアクションをされることが何度もありました。

逆に、自分を無条件に承認してくれる親などとの結びつきが深い子の場合、情が擦れていなくて真っ直ぐな場合が多く、不自然な承認欲求を感じるような子はとても少ないと経験上感じています。

無条件に承認してくれる存在との出会い

そういった観点から、私は承認欲求自体を不要なものだとは全く思いません。問題は、承認する側が無条件に承認することを忘れ、条件付きで承認する方向に偏っていることにあると思っています。

もちろん、成果や結果を出した人を承認するななどと極端なことは言いません。ただ、そういった承認をするとしても、土台として無条件な承認をしていなければ逆効果になってしまうことがあると考えているだけです。

逆に承認欲求はとても有意義な側面があります。人間にとって、無条件に承認してくれる存在との出会いは人生を大きく豊かにします。もちろんいい親ばかりではないし、いい先生ばかりでもない。子供にとって親や教師は選べないわけですから、そればかりは仕方ありませんが、例え血縁じゃなくても、あなたのことを無条件に承認してくれる存在に出会って初めて、もし頑張らなくても優秀じゃなくても自分自身に価値があると思えるのではないでしょうか。

私は無条件の承認という水が人というコップに注がれ、それが満たされた時に今度は溢れた水を違うコップに注ぐことができると考えています。現代社会はコップに水が入っていない人が残念ながら多いのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible