「憧れ」という感情は美しい。幼い子供のように、自分自身が「憧れ」というエンジンを今も持っているか、たまに考える。
「憧れ」のエネルギーが尽きてくると、「義務」や「周りの目」といった代替エネルギーを必要とするが、そっちに慣れすぎてしまうと、何故か「憧れ」のエネルギーがどこにあったのか見失ってしまう。
義務感や周りの目に縛られずに目を輝かせている子供から学べることは多い。当たり前のことに疑問を持ち、自分のしたいことを大切にし、権力や地位で人に対する見方を変えない。彼らはすごい。
しかし、大人のほとんどが「憧れ」を既に失って久しい。子供達が大学生になる頃には、既にかなり現実的になっている。その辺りの構造を考えたいと思う。
憧れは何に変化するのか
憧れは夢や理想やVISIONといった言葉と結びつきやすく、誰かに言われたからというような、他者からの働きかけによるモチベーションではなく、極めて主体的なモチベーションとして機能する。
しかし、多くの人が現実という壁に阻まれ、憧れる気持ち自体を見失っていく。そうなると、自分の中から自然に湧いてくるようなモチベーションはなくなり、変化していく。
マイナスをゼロにする
その代表的なパターンがプラス(理想)に向かうことを忘れ、マイナスをゼロにすることに意識がいくようになるという変化だ。
憧れや理想など、圧倒的なプラスのイメージが自分の中から消えてしまった場合、あるいは、初めから自分の中にあまり理想がない場合には、自分の中のマイナスをゼロにすることが成長だと思う傾向がある。
つまり、ダメなところを治そう、不幸になりそうな心配事をどうにかしようという論理だ。
この論理は、若いうちにおいては、不得意な科目を伸ばすことを重視される学校教育や、出来ないことを細かく指導される社会人として受ける教育と相性がいい。
その上、出来ないことができるようになるのだから当然成長であり、正論と受け取られやすい。
また、高齢者にもこの種の感覚が根深い。年齢が上がるにつれて、不幸なことさえなければ幸せというふうに考えが保守的になっていきやすいこともあり、不安や心配などのマイナスをなくすことに躍起になる傾向があるからだ。
ただし、マイナスを本当に埋める必要があるのかは場合によるし、マイナスを埋めたところで憧れた先のような明確な目標や理想が待っているわけでもない。
比較をモチベーションにする
そして他にも多いパターンがこれ。
自分の中の理想がないと、周囲との比較の結果生まれてくる優越感や劣等感が自分の価値判断の中心になってくる。
周りと比べて少しでも上であることを幸せだと認識し、劣っていることを妬む。自分の中に理想の物差しがないのだから、周りと比べるしかないというのはある意味当然だ。
最近、とある国の大統領が「コロナ対策で我が国は世界をリードした、国家の地位と国民の誇りが高まった」という趣旨の発言をした。
注目して欲しいのは発言の真偽ではなく、ニュアンスだ。一言で言えば、国際社会での自国の順位をとても気にした発言だ。比較により自国の価値を決めるという感覚が強いと言える。(実際に行ったことがあるがその国は凄まじい競争社会だ)
周りとの比較ではなく、本人の中に理想や憧れが強く、そちらに向かっている場合には、あまりその手の発言が出てくることはない。関心がないのだ。
人でも当てはまる。周りをよく見れば、マウントを取ろうとしてくる人や、自分の成果をアピールしようとしてくる人はいくらでもいる。
憧れを大切にする
先日、アメリカで面白い事件が起きた。
どうしてもランボルギーニが欲しいあまり、ユタ州の5歳の少年が家族の目を盗んで車を走らせ、カリフォルニア州までランボルギーニを買いに向かったのだ。ちなみに少年は3ドルしか持っていなかった。何という行動力だろうか。
結局、幹線道路を走っていたところを警察に見つかり、事故を起こすこともなく無事事件は収拾したのだが、物語はそこで終わらなかった。
事件を聞いたとあるランボルギーニ所有者が、少年をランボルギーニに乗せてあげたくてその家族を訪ねてきたのだ。そして少年は、念願のランボルギーニを体験することになる。
こういった事件を聞くと、リスク管理の観点で物事を捉える人は多いと思う。確かに、5歳ながらに勝手に車を運転するというのは危険であり、今後注意深く観察する必要はあるだろう。
しかし、少年の憧れ自体を否定しては決していけないと思うのだ。憧れや夢、理想というものは、時に周囲のネガティブな意見で簡単に崩れ去ってしまう、ガラス細工のようなものなのだ。
こういう憧れを大切にさせる周囲の対応は素敵だし、憧れを尊重された子供たちは、未来に希望を持つのだと思う。
憧れは将来の職業でも、人物像でも、状態でも、手に入れたいモノでも何でもいいはずだ。そして、おそらく歳を重ねたから遅いということでもない。
大人になった今でもたまに自問自答する。自分は何に憧れ、今でもそこを目指しているのだろうかと。
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