感情の格差が生じている理由

自分の感情の習慣に対する投資ほど重要なものはないと思う。それが、人生における人間関係を決めると思っているからだ。そして、自分の持っている感情の習慣は社会的な格差を生む。

今回は、とある短い物語を通して、その理由を説明したいと思う。登場人物の心境を追いながら読んで頂けると幸いだ。

飲み会でのストーリー

4人は居酒屋に来ていた。

4人の共通点は2つ。全員が4人のうちの1人であるベティの知り合いであること。そして30歳前後であることだった。

この日は、顔が広いベティの発案で、年が近いものどうしで飲もうという話になっていた。ベティ以外のアンナ、クリス、ダンはそれぞれ初対面だ。

お決まりの自己紹介が終わると、アンナが口火を切った。どうやら会社に対する愚痴のようだ。社長がワンマンで社員の意見に耳を傾けず、退社する人が後を絶たないとのことで、彼女もそのことに対して思うところがあるらしい。

アンナの会社はスタートアップの5年目。起業前から社長と知り合いだったアンナは、社長に誘われて創業メンバーとなった。元々、謙遜で努力家の社長の人柄を買ったのだ。

会社として、始めの数年はうまく軌道に乗ったものの、時間が経つにつれて変化が生じてきた。社長は社員よりも他の経営者や雇ったコンサルの意見を重要視し始め、社員たちに対しては横柄な態度を取り、聞く耳を持たなくなった。

権力によって人格がねじ曲げられる、お決まりのパターンだ。結果として、能力のある創業メンバーが去り、それをきっかけに社員の離職が加速。社内全体がざわついている状態になってしまった。

クリスはアンナの話を聞きながら、「それは要するに〜」「明確な問題点は〜」などの枕詞とともに分析を始めた。彼は共感ではなく、起こっている現象をロジカルに分析して解決することに意識があるようだ。彼の分析に対してアンナとベティは「そうかも」などとリアクションを寄せる。

ダンは話をじっくり聴いていた。クリスが問題解決に向けての提案をアンナにしているが、そこまでアンナのリアクションは大きくない。ダンは一つだけアンナに質問した。「アンナさんはメンタル的に大丈夫なんですか?」アンナは社長のことが嫌いになり、面倒だとは思っているが、どうやら仕事なんてこんなものだと割り切っているようで、特に深刻に悩んでいるわけではないようだった。

ベティはひたすらアンナに共感していた。そして自分の会社にいる嫌な上司のことや、会社に対する不満について話し始めた。話はエスカレートし始め、次にはダメな男の話をし始めた。どうやら最近失恋したようで、結婚について焦りが出始めているらしい。アンナがそれに乗ってきたこともあり、徐々に切れ味が鋭くなってきた。

クリスはとても楽しそうだ。アンナとベティの会社に対する不満を聞きながら、彼はそもそも日本は政治家が良くないという点を独自の観点を主張し、ベティの失恋話に対しては、男とはこうあるべき論を展開している。彼は他の人が話を聞いているかどうかはそこまで気にしていないようだった。

ダンは相変わらずじっと話を聴いていた。やがて、場所を変えて飲み直そうという話に場が収束してきたが、彼だけは用事があると断って3人を見送ったのだった。

アンナ(A)視点

アンナの感情に入り込んでみよう。

彼女は実際のところ、会社や社長に色々な不満を持っていたが、すぐに会社を辞める気はなかった。会社では創業メンバーとして比較的良い待遇を受けており、仕事に関しても、社長からも会社からも必要とされていた。

彼女は別にストレスで潰れそうになっているわけでもなく、現状を劇的に変えたいわけでもなかった。ただ、不満や愚痴を分かち合いたかったし、それが飲み会だと思っていただけだった。

初対面の人もいる中で、最初からいきなり自分の事情を話し始めたことからも分かるとおり、彼女はオープンで率直な人だ。周りの人に驚かれるほどに自分の気持ちを隠さないので、第一印象こそ不思議に思われることもあるが、時間が経てば経つほど、信頼を勝ち取ることも多い。裏表がないとわかるからだ。

それだけに、アンナの話にすぐに共感し、自分自身のことも曝け出して話してくれたベティに対してはありがたく思った。

クリスに対しては、別に論理的なアドバイスを求めているわけではなかったので「そうじゃないんだけどな」という男女間でよく起こるすれ違いのような現象こそ起きていたが、真摯に自分にアドバイスをしようとしてくれる気持ちは伝わったし、クリスの意見ではっと気付かされる内容もあった。

しかし、1つだけ気になることがあった。ダンだ。

彼は終始聞き役に回っており、初対面のアンナには彼がどう思っているのかよくわからなかった。アンナとしてはもう少し彼に何か話して欲しいと思っていたが、結局彼は途中で帰ってしまった。アンナの状況を聞いた上で、ダンが精神的に大丈夫なのか気にしてくれたことは嬉しかったが、彼の態度に関しては疑問のままだった。

アンナは、自分自身が率直な性格のため、ダンがあまりオープンに自己開示しないまま二次会への参加を見送ったことに対して、あまり良い印象は抱かなかった。

ベティ(B)視点

ベティの感情はどうだったのだろうか。

彼女は年齢の近いメンバーたちで飲み会をすれば単純に楽しい時間になると思っていた。ベティは3人とも知り合いだが、彼らは初対面なので、どういう展開になるか気にしていた。彼女はアンナよりも周りに気を遣うタイプで心配性だ。

そういう意味で、アンナが場を盛り上げてくれたことにとても感謝していた。

彼女はアンナと違い、積極的に自分自身のことを話すタイプではないが、アンナが会社に対する愚痴を言ってくれたおかげで、恋愛でうまくいかない気持ちを吐き出すことができた。

今まで、独りでいる期間がほとんどないほどにたくさんの恋愛をしてきた彼女だったが、中々良い出会いに恵まれていないと感じていた。恋愛関係になる人は、彼女からすると何か欠点を抱えた人ばかりだったのだ。

ベティにとってはクリスの意見もとても参考になった。彼女は自分自身の感情や感覚を論理的に整理して言葉にするのが苦手なため、クリスの分析は彼女が直面している状況を的確に表現してくれるという意味で、整理されることがあるのだ。彼女は昔から困った時にクリスからアドバイスをもらうことがよくあった。

しかし、ダンが消極的だったのはベティにとっても少し気になった。そもそも、ベティとダンの2人も、長い付き合いというわけではなく、最近共通の知人を通して知り合い、少し話したことがあるくらいの関係だったのだ。ダンの本音はベティにもわからないままだった。

アンナと違い、ベティは自分に何か原因があったのではないかと少し不安になった。彼女は自分の態度や発言がダンを不快にさせ、傷つけたのか振り返ってみたが、何も心当たりは見つからなかった。

クリス(C)視点

さて、次はクリスの視点だ。

彼は非常に知識が豊富で、様々な分野にわたる情報を持っていた。アンナが言うような「ベンチャーがよく陥りがちな失敗のパターン」やベティが話した「恋愛で失敗するパターン」などは分析しがいのあるネタだ。

彼は非常に頭がよく、仕事でも論理的思考力を評価されている。彼自身もそれが自分の大きなアイデンティティだと思っていた。そのため、彼はプライベートでも共感よりも分析という癖がついていた。

彼は、自分の話を聞いてリアクションしてくれるアンナとベティには好感を持っていたが、1つ残念に思ったことがあった。

それは、彼自身が今1番関心を持っていて、自論を展開したい国際情勢や政治の話に対する周りの反応が弱かったことだ。彼はそこに関しては、話し始めたら何時間でも止まらないくらいの思いがあったが、それを深く理解して受け止めようとする人はいなかった。しかし、それ以外の話が多くできたことで、彼は満足していた。

アンナやベティと違い、ダンのことは彼はあまり気にならなかった。シンプルな発想を好み、あまり感情的に繊細でない彼には「元々あまり喋らない人なのだろう」くらいの感想しか抱かなかったのだ。

ダン(D)視点

さて、この物語はダンの視点に収束していく。いったい彼は何を考えていたのだろうか。

彼はベティと長い付き合いではなかったが、呼ばれたからには一度参加しようと思って飲み会に参加した。そして、全員とほとんど面識はなかったが、有意義な時間になるように積極的に話に加わろうとも思っていた。

しかし、彼には誤算があった。

最初の話題の時点で、アンナが会社に対する不平不満や愚痴から入り、そのネガティブな雰囲気のまま皆が最後までいってしまったことだった。

彼は何かあると不平不満や陰口、責任転嫁や他者批判に走ってしまう自分が嫌いだった。発散しているその時はスッキリするのだが、後々思い出してみると、何か自分のことを棚に上げて人のせいにしている感じがすごく心苦しく思えたのだ。

そんな彼がこれまで尊敬してきた人たちは、「明らかに責任が他者にある時にさえ、自分ができたことを冷静に反省する人」や「ネガティブな状況でも、建設的な捉え方をし、感謝の気持ちを忘れない人」だった。

彼は自分の感情の動きにすごく敏感で、それをどうコントロールするかを大切にしていたのだ。

アンナが最初に自分の会社の事情を話し出した時、ダンはとてもアンナのことを気にしていた。アンナが初対面の自分の前でさえ、いきなり会社に対する不平不満を言っているということは、アンナの溜まっていた不満が爆発して、誰かに味方になってもらわないと危ない状態かもしれないと思ったからだ。

ダンは精神的に負担が大きい大変な状態であれば、すぐに味方になるべきだと思ったし、どうにかしてあげたかった。

そういう意味で、ダンはアンナに大丈夫かどうか質問したが、ダンの予想は外れた。その後の様子を見ても、アンナは追い詰められていてどうしようもない状態でもなければ、積極的に現状を変えたいというわけでもなかった。ただ習慣的に愚痴を言っているだけだったのだ。それに乗っかったベティも同様だった。

それが分かった時、ダンはどうしても愚痴や他者に対する批判が展開される会話に参加したいと思えなくなっていた。それは、アンナやベティに対する嫌悪感からではない。彼自身が自分の弱点がよく分かっていたからだ。

彼は、愚痴を言い合ったり、他者を批判しているアンナやベティの価値観にどうこういうつもりは全くなかった。むしろ、自分が積極的に話に交わらないことを申し訳なくさえ思っていた。

しかし、彼は自分がもしその話に同じ調子で加わってしまったら、すぐに感情がネガティブな方に流されると強く自覚していた。そして、感情に一度クセができると、習慣になり中々治らなくなってしまうこともよく理解していた。

そういう意味で、ダンはアンナやベティ、クリスのことを悪く思ったわけではないが、それに加わることができなくなっていた。そして、内心ごめんと思いながらも自ら距離をおいた。

私は人から選ばれているという事実

あえてストーリー性を持たせたが、このようなことは毎日どこででも起こっていると思われる。

例えば、事あるごとに誰かに対して怒りをぶちまける人がいるとする。そうすると、その人に何かの縁で関わった人の多くが「この人にはあまり深くかかわらない方が良さそう」と判断する。

そして、本人にはもちろん何も言わずに距離を置いていく。本人の周りに残るのは「人が怒っても気にしない人(もちろん自分自身の負の感情にも鈍感)」「仕事などの関係で接する必要がある人」などに限られていく。

しかし、本人は「自分の周りの人が自分から距離を置く選択をした」ということにはあまり気づかないだろう。これは恐ろしいことだ。

残酷だが、人は付き合う人を自分で選んでいる自覚はあるが、自分が選ばれているという認識は弱い。別に他人から不採用の通知は来ないし、SNSのようにわかりやすいブロック機能も存在しない。しかし、それでも、日々我々は選ばれているのだ。

ストーリーの中では、ダンがアンナやベティ、クリスと深く付き合わないことを「選んだ」形になった。

すぐに怒り狂うような人に比べたら、飲み会で愚痴を言うアンナやベティのような人は普通じゃないかと思う人もいるかもしれない。

しかし、そういう感情にすら気をつけている人もいるということなのだ。ストイックなまでに自分の感情の習慣を意識している人が。あるいは、自分を含む人の感情にとても敏感な人が。

感情の格差社会

そうなると面白いことが起こる。感情の格差社会が出来上がる。

自分のネガティブな感情のクセに気を付けている人は、同じような人がいた時にすぐに気づく。自分が普段から意識している以上、他人の感情にも敏感になっているし、そこまで感情を意識している人は多くないので、そういう人からするととても目立つのだ。

そして、半ば無意識に「この人はなんとなく近いし、相性が良さそう」という感覚を得る。結果、そういう感情の習慣を持つという共通項で信頼関係を築きやすい。

また、アンナやベティのような人は同じように愚痴を言い合える人とは仲良くなりやすいし、本人たちはそれを不健全とは思っていない。ただし、アンナやベティも「何かと怒り狂う人」とは距離をおきたいと思うことだろう。

そうやって「自分の認識する感情の健全さ」に応じて付き合いに階層が見事にできる。1番鈍感な人は同じような人たちで固まるし、ダンのように繊細に感情を扱う人たちは同じような人と接するのが居心地が良い。クリスやアンナのように中間の人もいる。

面白いのは、ダンのような人からアンナやベティの感情の景色を認識することはできるのだが、逆はできないということだ。ストーリーの中で、アンナやベティはダンがなぜ会話にあまり加わらなかったのか想像もつかなかった。彼女たちの感情の習慣からはダンの景色が見えてこないのだ。

これは、自分の感情のクセに注意しなければ、出会いと別れにどういう意味があるのか気づけないということを意味している。

出会いの神秘

私たちは誰でも、恋人でも友人でも良い人に出会いたいと思っている。そして出会いは時として運命的に語られるし、美しいストーリーにもなる。

私もロマンチックな運命、シンクロニシティのようなものを信じないわけではない。

ただし、現実は非情だ。

あなたが問題を人のせいにする感情のクセがあれば、問題を人のせいにしないで生きようとしている人からは距離を置かれていく。

あなたが優越感や劣等感に振り回されているのであれば、他人が誰であろうと尊重できる人が遠ざかっていく。

あなたが人に対して怒ってばかりならば、怒らない生き方をしようとしている人が離れていくだろう。

逆に、あなたが人の悪口を一切言わない人ならば、同じことを意識している人があなたに気づいて近づいてくる。

何が正しいとか間違っているという話ではない。ただ、自分の感情の習慣に見合った関係に収束されていく傾向、結果が生じるだけだ。

感情の習慣は人間関係を思った以上に階層化している。そんな気がする。

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ABOUTこの記事をかいた人

IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら