Poverty is a lack of character. In reality, it’s just a lack of cash.
(貧困とは精神性が乏しいことを言うのではない。実際に現金がないというだけだ。)
こう主張するのはオランダのジャーナリスト、ルトガー・ブレグマン。ヨーロッパの次世代の知性として期待されている彼は、ジャーナリストというよりも学者のような切れ味と先見の明を持っている。
我々の世界は長きにわたって、貧しさと努力や精神力の乏しさを関連づけてきた。
「貧乏だったがゆえに猛勉強して成り上がった」という美談は、いつの時代も成功者の口から語られ、大いに賞賛された。逆境を努力で覆すというストーリーは、確かに万人受けし、曇りのない完璧な教訓のようにも見える。
しかし「恵まれない境遇から成功した人がいる」ことは、しばしば「貧乏なのは努力をしないから」という理屈をなぜか正当化させてきた。
その人の人格的な欠点が、その人を貧困に貶めていると言いたいわけだ。
「根性なし」という死語
戦後の日本は何かにつけ根性論が強調され、「根性が足りない」「俺の時はもっと大変だった」などの今では古臭いフレーズが幅を利かせていた。今でも年配の方から聞くことがあるかもしれない。
戦時中の日本を研究した内容が書かれた『菊と刀』から興味深い箇所を引用する。(1)
日本は、精神が物質を制する戦いに勝利する。アメリカは巨大であり、その軍備は優れている。だが、それが何だと言うのか。そのようなことはことごとく予想されていたし、はなから問題にならなかったではないか。「算術的な数字を心配していたら、戦端を開くことはなかったであろう」。日本の有力紙、毎日新聞は当時そのように述べ、次のように言葉を継いだ。「敵はその莫大な資源を、今次の戦争によって生み出したわけではない」。
緒戦で勝利を重ねていたころですら、日本の政治家、大本営、軍人は次のように繰り返し述べた。「これは軍備の力比べではない。日本人の精神力信仰がアメリカ人の物質崇拝とぶつかり合っているのだ」。アメリカが優勢になると日本人は、「このような戦いにおいては、物質的な力は必ず負ける」と繰り返した。この教条的見解が、サイパンや硫黄島での敗北の際に都合の良い口実になったことは疑いない。しかしそれは、敗北をごまかすために捏造されたわけではない。このスローガンは、日本が勝利を重ねていた数カ月の間、常時、一種の檄として使われたのであり、しかも、真珠湾攻撃のはるか以前に公認のものとなっていた。
そんなに昔の内容ではない。せいぜい私の祖父母が子供だった頃の話だ。
ここ5年ほどでようやく話題になってきた「ブラック部活」も完全にその土台は精神論だ。根性のない人間はダメだと言わんばかりの価値観の押し付けこそが教育とみなされてきた。
このような歴史的な背景に鑑みれば、根性がないから貧しいという理屈を押し付けたくなるのはある意味自然だったのかもしれない。
また、それは日本だけではなく諸外国でも多少の感覚のズレはあれど、根本的には人格的欠如と貧困は関連づけられていたようだ。
貧者にお金が配られる時
資本主義が高度に発達して、そろそろ国家や自治体の福祉として、国民や貧困層に一律のお金を配るのはどうかというベーシックインカムの議論や実験が世界的に広がってきたのはここ10年ほどのことだろうか。
しかし、先程までの「貧しいのは、その人が怠け者であり努力をしないから」という思想を前提にすると、本当にベーシックインカムに意味があるのかという疑問が生じてくるのは当然の流れだ。
怠け者であるが故に貧しいのだとすると、結局お金を渡しても刹那的な消費の仕方、例えばお酒やタバコやギャンブルなどにすぐに使ってしまうのではないかと予想される。
もし、金銭的な援助を受けた貧しい人たちが結局お金を有効に利用しないのであれば、その取り組みに本質的な意味はあるのか?
そういった思想は歴史的に根深い。
前提が正しければもっともな意見だ。前提さえ正しければ。
先日、Newsweekにアメリカのベーシックインカム実験の報告に関する記事が上がっていた。(2)
2019年2月から2021年2月までの2年間、カリフォルニア州ストックソンで世帯収入が平均以下の125人が無作為に選ばれ、毎月500ドルを受給し続けるというものだ。
この実験は先のような性悪説的な疑念を振り払うことができたのだろうか。
結果は、受給者は非受給者に対し、フルタイム労働者の割合が増加。借金の返済も捗り、メンタルヘルスに関しても向上が見られた。端的に言って大成功だ。
懸念されたような出費の仕方はどうだったのだろうか。何とタバコや酒類の購入に使われたのは給付額の1%未満だった。
どうやら努力せずに怠けているから貧困というわけではなさそうだ。
アップデートを迫られる人間観
実は、貧困層がお金を配られたら真面目に働き、余分なものにお金はあまり使わないという事例は特に珍しいわけではない。
冒頭で触れた、ルトガー・ブレグマンは『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』の中で、同じような例をふんだんに盛り込んで、ベーシックインカムのメリットを説明する。
その中の1つを紹介しよう。
2009年5月にロンドンで、とある実験が行われた。
ホームレスの男性を13人集めて、彼らに政府から3000ポンドをフリーマネーとして渡したのだ。そのお金に関する使用条件もなく、見返りに何かをする必要も一切ない。全て自由だ。
彼らは電話や辞書、補聴器など極めて現実的なものを買い、後は倹約に努めた。1年後に調べたところ、平均すると3000ポンド中800ポンドしか使っていなかったようだ。
実験から1年半後には、13人の路上生活者のうち7人が屋根のある生活をするようになっており、さらに2人がその流れに続こうとしていた。
そして13人全員が経済力や個人的な成長につながるきっかけをつかんでいた。例えば20年間ヘロインを常用していた男性は、ガーデニング教室に通い、身なりを整えるようになり、家族の元へ戻ることを検討し始めていた。
そのプロジェクトの結果、あのエコノミスト誌でさえも「ホームレス対策費の最も効率的な使用法は、彼らにお金をあたえること」と結論づけた。
もちろんエビデンスは他にもたくさんある。アフリカからアメリカまで、最貧国から先進国に至るまで、フリーマネーは犯罪防止、子供の健康、学校の成績の向上、経済成長などに対し、驚くべき成果をあげてきた。
件の本に示されているその事例の多さは、まるで少しの内容だけじゃ信じないという性悪説的なマジョリティに戦いを挑んでいるかのようだ。「大事なことだから2度言う」どころの雰囲気ではない。それ以上に強調しなければ、歴史的に積み上げられてきた人間観は変わらないとブレグマンはわかっているのだろう。
人間とはどういう存在であるか。1番わかりやすく示しているのはリベリアでのフリーマネーだ。この国では最下層の人々に200ドルをあたえる実験が行われた。
アルコール中毒者や麻薬中毒者、軽犯罪者がスラムから選ばれたのだ。3年後に調べてみると、彼らはそのお金を食料や衣服、内服薬や自分のビジネスのために使用していた。
研究者の1人はこう言った。
「この男たちがフリーマネーを無駄に使わないとしたら、一体誰が無駄に使うだろう」
何が弱者をダメにしていたのか
社会をリードするような立場にいる人は、ほぼ例外なく努力してきたがゆえにそのポジションを得ている。
そのような彼らの目から見た場合、貧困な人や成功できない人は、それだけの努力をしていないからという発想に至りやすいだろう。人は自分の人生をベースにしてしか物事を考えにくいからだ。
しかし真実はそうではないとしたら?
ほんの少しの助けがあるだけで、たった1人でも必要な人に出会えるだけで、弱者と呼ばれていた人が変わっていく可能性があることを、この事例は教えてくれる。
確かに人は自分の弱さや甘えを克服しなければならない時がある。
しかし、我々は弱者に対して「怠け者」「甘え」「努力不足」などとラベリングすることで、本当に必要な助け方を見失ってはいないだろうか。
アルコール中毒者だろうが、麻薬中毒者だろうが、ホームレスだろうが、必要な支援をされればそれを無駄にしないように努力し道を切り開く力を持っている。
本当に彼らを殺していたのは、弱者には能力が欠けているとか、大変な状況に陥っているのは自業自得だとかいう、我々の人間観そのものだったのではないのか、今一度考えるフェーズに差し掛かっているように思う。
もし人間観が変化すれば、より多くの適切な助けが社会全体に行き渡るようになる。このベーシックインカムの事例から、人間自身が成長していくよう願いたいばかりだ。
隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働 (文春e-book) Kindle版
参考・引用
(1)ルース・ベネディクト『菊と刀』光文社、2008年
(2)https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/03/post-95775.php
(3)ルトガー・ブレグマン『隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働』文藝春秋、2017年
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