心に響いた美しい言葉

あれはアメリカ中西部イリノイ州の郊外での出来事だった。

友人たちとランチを取ろうとビュッフェスタイルのレストランに入った。天候に恵まれたその日、真っ昼間のモールは大変な賑わいを見せ、駐車場は車で溢れていた。

自分たちは7人ほどの多国籍軍だったため、選ぶ料理や食べ方も多種多様だ。最初から絶対に食べきれない量を確保した東南アジアのある国の人の料理が皿の上から最後まで無くならないところまではいつも通りだった。

しかし、みんなが満足した頃、トイレのために席を立った友人がとんでも無いことに気づく。

車の鍵が壊されている!

急いで車に駆けつけた時には手遅れだった。それぞれが車の中に残した私物がなくなっていたのだ。

私は財布とパスポートが入ったバックパックが盗られていた。そのせいで、私は帰国のフライトの1日前にニューヨークの日本領事館にて再発行したパスポートを受け取るというギリギリの戦いをしたのだった。

人は信頼するに値しない。誰もがどこかでそう感じる体験をする。

そして、残念ながらそれはどこの誰かもわからない他人から私物を盗まれるような時だけに感じるものではない。

むしろ、深く信頼していた人から裏切られたと感じる時こそ、自分の人間観はひどく揺さぶられるのだ。深く切り裂かれた心情的な傷はなかなか癒えることはない。

人を信頼すべきだろうか、それとも疑ってかかるべきだろうか。

ある女性が出した答え

生まれてこのかた人間関係に恵まれ、信頼を裏切られたことなんて一度もない人物が語る性善説は万人には到底響かないし、周囲から裏切られ続けてきた人生を送ってきた人が語る性悪説的な人間不信には残念ながら偏りがある。

心から信頼し合える人間関係を多く築いてきたにも関わらず人間は信頼には値しないという意見を持つ人や、多くの詐欺師たちと接しながらも人間は信頼できると主張する人がいれば、中立的な意味で彼らの意見は聞くに値すると思うのだが、果たしてそんな人がいるのだろうか。

実はいる。彼女の名前はマリア・コンニコワ。コロンビア大学で心理学の博士号を取得した作家でありながらプロポーカープレーヤーでもあるという異色の肩書きを持つ。

優秀な経歴を見ると、恵まれた人生なんだろうと感じるが、そういうわけでもない。彼女は2015年に母が長年勤めた職場を突如解雇されたのを皮切りに、数ヶ月には祖母が足を滑らせ転倒し、誰にも看取られることなく他界する。その後夫のスタートアップ企業が失敗し、家計を一手に担う立場に追い込まれると、本人も原因不明のアレルギー反応を起こし体調を崩すこととなり、外出もままならない状況になってしまう。

そんな彼女はその後にポーカーを始めることになる。大きい大会となると優勝賞金が10億円規模にものぼる世界中で人気のポーカーだが、よく知られているように騙し合いの要素が強いゲームだ。

ポーカーは「ブラフ」という手段がよく使われる。自分が強いカードを持っていないにも関わらず、賭けているチップをあえて上乗せして強いカードを持っているように相手に錯覚させ、相手を下ろしてしまうことだ。

ポーカーはこのブラフを用いた騙し合いに勝つことが、避けることができない要素になっているのだ。

もしこのブラフを一切使わないのであれば、同じテーブルに座っている他のプレイヤーからは「ブラフをしないプレーヤー」と認定されることになり、簡単に自分の手の内を読まれることになるだろう。

「ポーカーをプレイしていて20分たっても誰がフィッシュかわからないなら、あなたがフィッシュである。」という言葉が有名なように、ポーカーは読み合い、騙し合いのゲームなのだ。

そのポーカーでマリア・コンニコワは結果を残した。2018年の大会で優勝し、賞金8万4600ドルを獲得したのだ。彼女は騙し合うゲームで頂点に立った。

実はポーカーを始める前の2016年、彼女はプロの詐欺師たちがどうやって人々を騙しているかを実際の事例や研究から心理学的に分析した本『The Confidence Game』を発表し、話題を呼んでいた。(1)

そう、そもそもポーカーを始める前から、彼女は心理戦に相当詳しかったのだ。

さて、数々のえげつない詐欺師のテクニックを詳細に分析し、実際の騙し合いであるポーカーの中でも短期間でプロと呼ばれるほどにのし上がった彼女は、人を信頼することをどう考えたのだろうか?

彼女の答えは、衝撃的なものだった。

人を信頼して、時々は騙されるという事実を受け入れた方がはるかに良い。なぜならそれは、人を信頼するという人生の贅沢を味わうための小さな代償だから。

私はその美しい表現に心を奪われた。言葉とは、こういう風に用いられた時に輝きを放つのだな…と。

そんなマリア・コンニコワの珠玉の名言に触れたオランダの天才ジャーナリスト、ルトガー・ブレグマンはこう付け加えた。

もしあなたが一度も騙されたことがないのなら、基本的に人を信じる気持ちが足りないのではないか、と自問すべきだろう。(2)

こういった表現に心が動かされるのを自覚すると、現代に本当に必要なのは、天才経営者ではなく天才詩人なのではないかという気持ちになる。

なぜ騙されたとしても信頼するのか

こういう美しい言葉をあえて解説するのはとてつもなくナンセンスだ。自分でもそう思う。それでも、その言葉が多くの人に響けばという思いから、私なりに少しその意味を考えてみたい。

もし人が愛情に包まれた人生を願うのならば、その一歩は間違いなく人を信頼することだ。

なぜなら、誰かから自分が愛されていると感じるのは、自分がその人を信じるからだ。

私は困っている人を見ると放っておけなくなるところがあり、ついついお節介ながら誰彼問わず手を差し伸べてしまうところがある。その時に、一部の人からは「なぜ?」というリアクションをされる。

「なぜ?」と言われても助けたいからそうしたとしか言えないわけだが、彼らからすれば、何か裏があるのではないかとか、ありがたいけどなんか釈然としないという雰囲気を隠せていない。

そう、こちらの好意は、相手がこちらを信頼しない限りは届かないのだ。

ある夫が妻を深く愛しているとしよう。しかし、その愛情は妻が夫を信頼するという前提条件があって初めて届く。例えば、妻が夫に対して不倫しているのではないかと疑っている場合は、実際には完全な潔白であったとしても「愛してる」の言葉が妻に響くことはない。

人間間の信頼は、愛情の潤滑油だと思う。

よって、愛に満たされる人生にしたければ、人を信頼することと信頼されることが重要になってくる。

もちろん、人を無条件に信頼しようとすれば裏切りに合うこともある。ただし、信頼しようとしなければ愛情に溢れた人生にはならないので、裏切られることはそのための経費のようなものだとマリア・コンニコワは言っているわけだ。

信じてもらえたという感動

誰かから無条件に信じてもらえたという体験は、人生において忘れられない宝になる。

それも、自分に肩書きがあるから信じてくれたとか、自分にお金があるから信じてくれたとか、自分が容姿端麗だから信じてくれたとかではなく、「あなたがあなただから信じた」という場合だ。

さらに言うと、自分が周りから誤解され、誰も本当の自分の事情を理解してくれない危機的な状況になった場合でさえも、自分のことを信じようとしてくれた人に対しては特別な感情を持たずにはいられない。

小室真子さんが結婚会見の時におっしゃっていたフレーズが私にはとても印象的だった。

「私のことを思い静かに心配してくださった方々や事実に基づかない情報に惑わされず、私と圭さんを変わらずに応援してくださった方々に、感謝しております。」

というものだ。お二人の決断が是か非かをここで述べるつもりは全くない。ただ、あれだけの誹謗中傷を受けたにも関わらず、真っ向から信頼し応援してくれた人たちをどれだけありがたく思ったか、そういう人たちがいなければどうなっていただろうかと思うと感慨深いものがある。

文字通り全てを失ったような暗闇の中で、自分を信じ続ける存在を発見した時の驚きは何にも変え難い。

これを読んでいる人の中には、実感を持って同意してくれる人もいれば、これまでの人生でそんな逆境になったことはまだないという人もいるだろう。

しかし、そういうことは人生のどこかで突如として起こりうる。

私は満員電車が苦手で、満員電車での痴漢冤罪のリスクについてたまに考えることがある。自分はやっていないのに被害者から誤解され、駅員さんを呼ばれた挙句、警察に通報された場合だ。女性が誰かから痴漢の被害に遭ったことが事実の場合、その場の空気は間違いなく自分に不利な方向に動いていくだろう。

最悪のケースは、裁判により罰金刑になり、会社からは解雇され、噂が広まった結果、自分の周りの誰もがそのことを知るようになった場合だ。

仕事を見つけられるほどの社会的な信用はなくなり、経済的に難しくなるだけではなく、人間関係に関しても崩壊が予想される。

でも、そんな時に「あなたがそんなことをやるはずがない」と言って、一切態度を変えないで接してくれる人がいるとしたら、どれだけ救われる思いがするだろうか。

最後に残るのは、無条件の信頼関係だけなのだ。

マリア・コンニコワが言う「人を信頼するという人生の贅沢」とは、そのような人間関係を築くことであり、そのような愛を軸とした人生を選択することなのだろう。

信頼を重視した教育

家庭教育において信頼を何よりも大切にする民族がいる。

総人口は東京都と同じ1400万人程度でありながら、ノーベル賞受賞者に占める割合が20%を超えるというユダヤ人だ。

日本人女性とユダヤ人男性のご夫妻が、ユダヤ式の教育を本にまとめた本『与える」より「引き出す」! ユダヤ式「天才」教育のレシピ』よりユダヤ人の子供に対する信頼がわかる箇所を引用する。(3)

信頼──これはユダヤ人家庭の性格を、最もよく表した言葉です。自分の子供は絶対に伸びる、絶対に大丈夫、と心の底から信じている。これは、とくにユダヤ人の母親の特徴として、しばしばコメディーにさえ登場します。ユダヤ人の母親といえば、自分の子供が世界一だと勝手に信じ、自慢して歩くのが普通なのです。(中略) ユダヤ人の多くは、「自分の子供を他人の子と比較する」ことが、あまりありません。「他の子よりも優秀なはずだ」などと勝手に信頼してしまうから、勝手に「裏切られた」と落ち込むのです。最初から比較しなければ、自分の子への信頼が裏切られることなどありえないのではないでしょうか。

著者のアンドリュー・J・サターは、小学生の国語の授業が先生が文法のミスを犯したのを指摘したことがあるという。すると、教師がその夜に母に電話をかけてきて、今後は授業中に発言をしないように指導するようにと言ってきた。それに対して彼の母は、自分の息子は正しいことを言っているのだし、そんなことを押し付けるなど失礼極まりないと拒否したのだった。

母の息子を守ろうとする姿勢と信頼に、とても感動したのをアンドリューは大人になっても覚えていたのだ。

子供は親との関係に多くのことを見出す。

倫理観が未発達の子供が、何か良くないことをしてしまうことは日常的に起こる。そして、その時に悪いことをしたのは自分じゃないとか、何も知らなかったと誤魔化してしまうこともある。

子供にとって親から怒られたり嫌われてしまうことは本当に怖いことだからだ。

もちろん言い訳は稚拙なものであることが多いが、それでも親が「そうだったんだね」とすぐに納得してそれ以上は咎めてこなかった場合、子供には不思議な感情が芽生える。

1つは良心の呵責。自分が嘘をついて親はそれを信じた。「悪いことをした」という思いがつきまとうのは当然のことだ。

もう1つは安心感や感動に近い感情だ。悪いことをした上に嘘をついたにも関わらず、親は自分が悪いことなんてしていないと信じてくれた。それに対する心温まる感覚は、時に厳しく子供を罰するよりもはるかに強力に、二度と悪いことをしないよう子供の良心に働きかける。

悪いことをやって叱られる子供が時に深く傷つく理由は、「自分が悪いことをやっていない」からではなく、「自分が悪いことをやったという証拠が親にはないはずなのに自分がやったと決めつけている」からだったりする。

信じてもらえていない。そう悟ってしまう子供の心は孤独だ。

しかし、そう思っているのは子供だけではない。

大人だって無条件に信頼されたい。成果を出すからとか、肩書きがあるからとか、お金を持っているからとか、容姿端麗だからとかそういういつか消えてしまうような条件を前提にしたものではなく、ただ無条件に。

社会心理学者のエーリック・フロムはこう言った。(4)

未成熟な愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。

子供も大人も、いつも成績や評価がついて回り、何の前提もなしに信頼し合うことの意味が風化しているように感じる現代だからこそ、マリア・コンニコワやルトガー・ブレグマンの言葉は胸に響く。

そういう美しい言葉が美しく感じられる社会を作らなければ、そう思わされるばかりだ。

Humankind 希望の歴史 下 人類が善き未来をつくるための18章 (文春e-book) Kindle版

「与える」より「引き出す」! ユダヤ式「天才」教育のレシピ (講談社+α文庫) 単行本 – 2010/9/21

愛するということ Kindle版

参考・引用
(1)マリア・コンニコワ『The Confidence Game|信頼と説得の心理学』ダイレクト出版、2019年

(2)ルトガー・ブレグマン『Humankind 希望の歴史 下 人類が善き未来をつくるための18章』文藝春秋、2021年

(3)アンドリュー・J・サター、ユキコ・サター『「与える」より「引き出す」!ユダヤ式「天才」教育のレシピ』講談社、2010年

(4)エーリッヒ・フロム『愛するということ』紀伊國屋書店、2020年

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら