強者の論理と弱者の反発の感情について

強者の論理と呼ばれるものがあります。端的に言うと、成功できないのは本人の向上心や努力が足りないからだというあの論理です。

一方、強者の論理を強調されると、自分そこまで強くないと感じている人から、あなたは環境が恵まれていたから努力できたのだという反発がきます。

この構図だと、誰も幸せにならない気がするので、今回はこの対立の構図を感情面から考えつつ、どう収束していくのが平和なのかを考えてみます。

強者の目線から

強者の論理を振りかざしてくるような人は、基本的に自分がとても努力してきた場合が多いと思います。自分は大変な努力をしながらここまできたわけだから、文句を言うならあなたも同じように努力をしたらいいじゃないかというわけです。誰でも努力することはできるでしょ?という言葉が出てきそうです。

ただし、努力というのは当然人の目には見えにくいものなので、他の人から見ると、「いやいや、それはあなたの環境が良かったから出来たんでしょ」「努力できるのも才能なんだよ」などと映ってしまいます。

強者からすると、才能環境で片付けられてしまうのは、自分の努力や苦労を無かったことのようにされるような気持ちになり、あまり納得はいかないでしょう。強者となった人の中には、とんでもないどん底のような環境を逆手にとって這い上がった人もいます。華々しい部分だけで片付けられたくはないはずです。

ただし、そうやって努力に裏付けられて強者となったが故に、努力できない人の気持ちは理解できないし理解したくないプライドのような感情があるのではないでしょうか。

弱者の目線から

海外のYoutubeを見ていると、例えば白人が購入品を紹介する時に、
“I’m privileged” “I’m blessed”
などの表現を使うのをよく耳にします。直接的な意味としては、自分は恵まれている、特権を持っているという意味になりますが、なぜわざわざこういったことを言うのでしょうか。

それは、その言葉がないと「白人はいいよね」とか「リッチな階級だからね」といった内容がコメント欄を埋め尽くしてしまうからです。日本ではあまりピンとこない部分もありますが、現実的な問題として、白人の特権というのは国によっては非常に大きいものがあります。

特に移民の多い国では、人種による格差が大きく、白人じゃない場合に、生まれた時点で非常に貧乏であったり、親が犯罪に手を染めているなど境遇が恵まれない場合が多い。それに対して同じ能力でも優遇されやすい白人は良い仕事にもつきやすく、自動的にヒエラルキーの上の方にいき裕福になっていく。結果、教育に対する投資も行うことができるため同じような構図が繰り返されるというわけです。

そういう恵まれた環境にいるからYouTube配信しながら自分の満たされた生活を紹介できるのであって、その特権階級にいることをまさか自覚していないわけじゃないですよね?という圧力が常にかかっているわけです。

それもあって、先ほど述べたような表現が前フリとして動画に登場します。明らかに定型文ですがないよりマシで、自分は恵まれた立場にいることを理解しているし感謝しているよーというアピールをしていることになります。

やはり弱者の目線からすると、先天的な要素である生まれた環境や元々の能力によって人生は大きく左右されるし、後天的な努力なんかではどうしようもなく埋めようのない差があるのだということを強者にも理解してほしいし、認めてほしいと思っています。

それなのに努力や向上心の問題に帰せられると感情的に納得がいかなくなってしまうのは理解ができる話です。

歩み寄る道

それぞれの目線を考えてきた中で、私の結論をここで述べます。

強者の論理を振りかざす人は、努力が本当にできない人や、努力しても能力的に難しい人、努力するうえで環境的に恵まれない人の事情を理解した方が素晴らしい強者になれると思います。わざわざ喧嘩を売るような生き方よりも、その方が美しいというのが個人的な意見です。

やはりどう頑張っても報われないし、環境が酷すぎる人は存在します。どうしても何のモチベーションも湧いてこない人、自分から行動できない人もいるんです。そういう人から強者の論理を振りかざす人を見ると、あまりにも恵まれているようにしか見えないというその視点に触れることは、強者の景色を変え、時に大きな成長に繋がることさえあると思っています。

また、強者じゃないと自覚する人は、強者の努力や苦労などの事情を理解した方がWIN-WINの関係を築けると思います。努力を考慮されずに出来て当たり前のように思われ、多くの嫉妬や妬みで時には引き摺り下ろされる強者の事情はそんなに華やかな部分だけではないですし、理解されない孤独も抱えやすいです。

そうなると、自分が尊敬できる人以外に壁を作り、弱者をバカ扱いして完全に切り離してしまいたくもなるものです。その辺りの強者の景色を理解し、強者の努力を認めていく方が良い関係を築くことにつながり、最終的に自分にもメリットがあるのではないでしょうか。

どちらにもそれぞれの感情や言い分があると思います。自分がどちらに回る時にも、歩み寄れる自分でありたい。簡単ではないかもないけど、それが私の美意識です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible