弱さを誇る若者たち

様々な世代の方と接すると、その時代背景からくる価値観の違いがいかに大きいかを考えさせられます。私はそれが気になって、世代の違う方に会うと、その時代がどういう時代だったのかついつい聞いてしまう変人です…。

特に、学生たちと接すると1番新しい価値観が何なのか、この先はどういう時代になりそうか見えてくるので、彼らの話を聞くのはとても面白いです。

今日は、若い世代の価値観の変化のうち、あまり一般的に語られていないと思われる観点を私の感覚でお伝えします。

一言でいうと、自分自身の弱さに対する感覚です。

弱みを見せない世代

まず、世代が昔に遡れば遡るほど、自分の弱さを人に見せることに対して抵抗がある人の割合が高いように感じています。

おそらく、時代として求められたものが、競争を勝ち抜く力強さや弱音を吐かない我慢強さだったために、自分の弱さを見せるということは、ダメな人と思われてしまうことに直結したからではないかと推測します。

自分のダメなところはなるべく晒さずに、あいつは出来るという風に見てもらえる工夫が必要だったのではないでしょうか。

筆者は率直な人間なので、様々な職場で上の人に出来ません、わかりません、などの弱みを見せるような言葉をそのまま伝えていましたが、結構な割合で「そんなこともできないのか」とか「それくらい自分で考えろ」という類の反応が返ってきていました。

そういった感覚を持つ方々から一目置かれるのは、恐らく一切弱みを見せず、人前で強くあり続けようとする人であり、苦労している雰囲気さえも感じさせない自信を持ち、実績を積み重ねていくカリスマ的な存在なのだろうなと思います。

また、そういった圧倒的な実績や武勇伝、時には自慢を前にすると、それから刺激を受けて、自分も負けられないと燃えるような人が昔は多かったのかもしれません。

弱みを見せる世代

それに対して、年々感じていることなのですが、今の若者たちは弱さを見せることに抵抗がない人が多い。

むしろ、自分のダメなところや欠点をネタにしてWEBに発信したり、キャラとして確立させている人さえ珍しくないように思います。

そしてそういう人たちに対するリアクションなのですが、昔の世代と打って変わって、率直に弱さを晒すような人に同調や信頼が集まる傾向があるという風に感じています。

意識的に自分の弱さを見せずに実力をアピールする人に対しては、負けん気が起きるというよりも、自分とは遠い存在のように冷めていくように見えますし、自分を偽らず等身大で弱さも見せる人に共感を呼び、そのありのままの感じにいいねが集まっていくようなイメージです。

講話をする時も、良いことだけを話すと自分のこととは別の世界の話のように受け取られ、失敗談を入れるとやたら受けがいい。

この辺りの内容は完全にデータとか研究などのエビデンスありきじゃなく、いつも通りの肌感覚ですが、本当に不思議です。

弱さという強み

実は、これらの違いの間に挟まって、私はしょっちゅう失敗します。

元々の私の気質は、あまり飾らずに自分のミスや弱さも全部出していくスタイルなのですが、それが大学生などに対しては好印象を抱かれることが多く、カウンセリングで信頼してもらい、本音を引き出すための武器になっています。

と思いきや、年齢がある程度上の方々に対してもそのようにしていると、やる気がない人というか、根性がないダメな人のように見られてしまい、変に怒らせたりしてしまっています。相手からすれば、甘えているから正してやらなければという感覚なのだと思います。

正直いまだに調整に苦労しています…。そういった違いを味わうこと自体は面白いんですけどね。

以上のことから未来を予測するとするならば、さらに率直で、裏表がなく、自分の弱さをも誇れる人が台頭していくのではないかと見ています。弱さが誇りになり、武器になる時代…以前からすると考えられない時代の変化です。

個人的な願望も入ってはいますが、そうなってくれば、生きづらさを感じる人は減ってくるのではないかと期待せずにはいられません。

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ABOUTこの記事をかいた人

IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible