幸せになりたいなら、幸せが実感依存であることを知ろう

これからは、感情の時代になると何度も何度も繰り返し主張してきている当ブログですが、感情を1番無駄なものとして切り離してきたビジネス界の風潮がここ数年で確実に変化してきているのを感じながらとてもワクワクしています。

感情のように目に見えないものが重要視されると指標も数値だけでは当然追うことができず、判断基準であるところの指標が「実感」になるという話を今回はしたいと思っています。

結婚という複雑な選択

さて、1つの例を挙げます。国勢調査を参考にすると、1985年までは男女共に5%未満だった生涯未婚率ですが、30年後の2015年には男性が23.37%、女性も14.06%まで上がっています。

過去においては義務であった結婚が個人の選択になり、当然と言えば当然の流れなのですが、人生においてはあまりにも大きな選択です。さて、どちらを選ぶべきでしょうか。

とてもむずかしい選択ですね。この辺りの回答は論理では到底納得できる答えが出ず、結局のところ実感依存になってしまうと思うのです。

結婚が墓場だという実感

例えば、私の母親がヒステリックでよく感情的になり、家族の前で父親の悪口を言い、父親がひたすらそれに耐えながら家族のために仕事を頑張っていたとします。母はとても強く、自分が反省する気は全くないため、母の抑圧的な雰囲気が家庭内に充満しており、居心地が悪く私はいつも自分の部屋に篭っている子供時代を送ったという設定です。

母が爆発して父に当たり散らすため、夫婦としての関係も険悪で、なぜ2人は結婚したのかということを度々考えるし、自分は何でこんな家に生まれてきてしまったのかという疑念さえも生じることが出てきそうです。

さて、その人生だった場合、私は将来結婚したくなるかどうか考えてみましたが、ほぼ結婚しない生き方を決断するだろうという結論に至りました。そういう人生を送った場合、私は結婚に対する強烈なネガティブイメージが感覚として刻まれなかなか消えないだろうというのが理由です。

その時の私の結婚のイメージは、我慢とか喧嘩とか険悪とかそういった系統に染まるでしょう。例外としては、自分の生きてきた経験が白紙になるほどに結婚に対してポジティブな出来事があった時のみなのかなーと思います。

結婚は幸せだという実感

それでは逆のケースです。私があまりにも両親の夫婦仲がいい家庭で育ったとします。両親は見るからに幸せそうで、心からお互いに出会えて良かったという雰囲気が出ており、よく愛情表現をしています。子供から見ていてもお互いに対する信頼や尊重が透けて見えるような家庭で育ったという設定です。

この場合、私は将来の結婚に対して非常にポジティブになると思います。結婚のイメージは仲のいい夫婦、愛情や結びつきなどのポジティブな感覚で埋め尽くされることでしょう。憧れや理想が前面に出そうです。

無数の実感依存の選択肢

結局、結婚したら幸せになれるとか結婚はしないほうがいいとかってそこにシンプルな正解はなく、完全に実感依存ですよね。何が正しいと言われているのかではなく自分がどう感じるか。これがあるから幸せということでもありません。感じているから幸せなんです。

個人的には、これから結婚が義務という感覚はさらに薄くなっていくであろうことから、結婚に憧れを抱ける人が結婚し、憧れを感じない人は結婚しなくなっていく二分化がさらに加速すると思いますが、それで良いような気がします。

同様に、お金持ちあるいは貧乏であるということがどういうことなのかとか、外国に住むことがどういうことなのかとか、自分にどういう職業が向いているかなども「これこれこういう観点からこうすべき」みたいな論理的な分析というのは意味がないとは言いませんが、あまり役に立たないんですよね。

お金持ちになったけどあまり自分幸せになってないなと実感している人や、貧乏だけど家庭環境に恵まれて幸せだという実感を持ってきた人や、徹底的に自己分析して向いてると思った会社に入ったら、残念ながら本当につまらなかったと感じている人なんていくらでもいます。

先ほどの結婚の例で言うならば、「結婚して本当に幸せだと実感している人」や「結婚して本当に不幸だと実感している人」、さらに「どちらとも言えない人」がいる。誰が正しいわけでもなく、事実としてそれだけなのではないかと思うのです。

哲学者が語ってきたような結婚は人生の墓場だというような内容を吹聴するおじさんもいれば、SNSで結婚生活がいかに幸せか実感させてくれる配信者さんもいます。本当に面白い時代です。

自分はどれだけ幸せを感じて生きてきたのだろう

正しい正しくないという指標が通じにくい事柄に関して、我々は実感を頼りに物事を判断します。そのため一歩が先日投稿した感情のPDCAだと思っています。良いと思うのか気持ち悪いと思うのかなど自分の感情に正直になり、気づく習慣があってこそ幸せと不幸の両方の実感に敏感になると思っています。

その土台で、正しい正しくないではなくて、自分が何に憧れどうありたいのか、様々な経験をしながらフィードバックを回し、あくまで自分の声を聞くしかない。

これからの時代、感情のPDCAサイクルが必要になる

2019年10月23日

ちなみに、様々な選択肢があると、その中に気持ち悪かったり、あまり幸せとは言えない気持ちに襲われる場合があると思います。その場合それを正しくないとかダメだとすぐに考えるのは少しもったいなくて、嫌だったり気持ち悪いと感じることも大きな財産だと思っています。

何かに対して嫌だなーというイメージが浮かぶ時に大切なのは「正しい間違っている」でそれを解釈するのではなくて「なぜ自分にはネガティブなイメージがきたのだろうか」と考えることです。そうすると、自分を発見するという意味で視野がかなり広がります。

何が正しいかから、自分はどう感じるのかへのシフト。あなたはどういう時が幸せですか?その実感の幅を広く深く発見していますか?こうあるべきという正しさに囚われ過ぎると、自分が本当はどう感じているのかわからなくなります。御注意を。

たまには身の回りの成功している人ではなく、とても幸せそうにしている人に注目してみても面白いのかもしれません。

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ABOUTこの記事をかいた人

IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら