利他性に基づいた社会を創る

どうすれば利他性に基づいた美しい社会が機能するだろうかと最近よく考える。

人々が利他性に基づいてお互いに助け合う社会と、人々が人間不信からなる疑心暗鬼に包まれていて、周りからどう搾取するかを考えている社会のどちらが理想的かと問われたら、ほぼ全ての人が前者を選ぶだろう。

そして、もし利他性に基づいた社会に辿り着いたとしたら、みんなが他人を信じる傾向にあるからからあなただけ裏切れば、あなたの利益は最大化するのでそれが進化論的に一番合理的な生存戦略ですよと学者から説明されても、それを選択する人は少ないはずだ。それは倫理的に美しくないから。

アメリカを代表する知の巨人、ニコラス・クリスタキスは協力行動や利他行動の非合理性について次のように説明する。(1)

協力行動と利他行動は、長いあいだ科学者の頭を悩ませてきた。どうして人間が協力行動を進化させたのか、単純な説明ではとうてい答えにならない。なにしろ普通なら、自然選択は利己的な行動を好むはずだからだ。集団のメンバー全員が集団に貢献すれば、メンバー全員でいい思いをできるかもしれないが、個人レベルでは、貢献しないでいたほうが自分だけいい思いができるかもしれない。結果的に、おそらく集団は成り立たなくなると予想される。誰もが他人の努力にただ乗りしようという動機を持っているからだ。にもかかわらず、現代においても古代においても、人間社会は動物界にはおよそ見られないレベルで協力行動に依存している。

ニコラス・クリスタキスは、協力や愛などは合理や非合理の範疇に収まらない遺伝子レベルでコードされている人間の本質だと説明する。

そうだとするならば、なぜ私たちは自分たちの本性に基づいて、自己中心性に根ざしたこの社会のOSを、利他性をベースとしたものにアップデートしないのだろうか。

私たちは、自己中心性を機能の根幹に据えたOSで作動することに慣れすぎているため、そのシステム内でうまく生きていくためのアプリ開発に躍起だ。就活で内定をもらうために自分の経歴を誇張したり嘘を織り交ぜたりして偽ることも、マッチングアプリで自分を選んでもらうために現実とは違う盛られた画像を本人として偽ることも、もはや日常の一部だ。

それらの行為は相手のためにはならない、いわば自己中心的な行為そのものに違いないが、利己性というOSを主軸にしたシステムの中ではダウンロード数がとても多いアプリとなっており、高評価を得ている。

資本主義と共産主義の持つ共通の人間観

20世紀はこれまでの人類歴史と違わず、闘争に明け暮れた100年だった。

二度の世界大戦を終えたのちにも、世界は自由主義と共産主義の真っ二つに分かれ、核戦争による世界崩壊のシナリオは間近のように思われた。戦後、自由主義陣営のアメリカ主導のもとに新しく出発した日本も、国内で共産主義が台頭し、とんでもない事件が多発した。

例えば、1969年の東大安田講堂事件。東大の主要な建物を左翼学生たちがバリケード封鎖して、その解除のために警察の機動隊と二日がかりで衝突したとか、その騒動の余波で総長と全学部長が辞任した挙句に、1969年の東大受験そのものがなくなったなどと、今の受験生は果たして信じることができるだろうか。

また、その翌年である1970年に起こった、よど号ハイジャック事件。過激な共産主義者たちが羽田空港から福岡に向かう飛行機をハイジャックし、日本の敵国だった北朝鮮に辿り着き亡命するという衝撃的な内容だが、冷戦の時代を体験していない私は、これまで飛行機に50回以上乗ってきた中で、共産主義者にハイジャックされるというリスクを考えたことは一度もない。

ただし、これだけ対立を繰り返してきた自由主義と共産主義には本質的な意味での共通点が存在した。

自由主義国家が選択した資本主義という経済システムも、共産主義国家が選択した国家主導の計画経済も全く同じ人間観に基づいていたのだ。

「人間は利己的である」

アダム・スミスとカール・マルクスに見る利他性

資本主義者のバイブルとなった『国富論』を書いたアダム・スミスは経済システムにおいて利己的になることは善だと主張した。

例えば、自分がパン屋を経営するのであれば、自己の利益を追求してどんどん規模を大きくして儲けを増やしたほうが良い。結果として雇用が生まれるので、それは他者のためになる、という具合だ。

また、私たちが多種多様なサービスを企業から受けられるのも、彼らの善意によるものではなく、あくまで彼らの自己の利益の追求の結果そうなるのだと主張した。

この考えは、資本主義や消費主義を大いに加速させたわけだが、それならばアダム・スミスは冷徹でロジックに魅せられた機械のような利己主義者だったのかというとそういうわけではない。

彼は『国富論』よりも先に『道徳感情論』と題した本を書いた。その冒頭には、人間は確かに利己的な生き物だが、他者の幸福を求める原則が見られるという利他性に注目した記述を見ることができる。

そもそも、この『道徳感情論』自体が、道徳的でありたいと願う人間の感情である、共感や同情、哀れみなどの能力をテーマにしているのだ。だが、彼が『国富論』で採用したのは利己的な経済システムだった。

それでは、『資本論』を書き、共産主義の生みの親となったカール・マルクスはどうだろうか。

彼の理論はそもそも『資本家のエゴイズム』をベースにしており、人間の利他的な側面には光を当てず、利己的な部分を強調した。彼が押し進めた恨みや怒りを原動力とした革命の手段は暴力だった。

結果として、20世紀の共産主義運動によって殺された人の数を、フランスの歴史研究家ステファヌ・クルトワは1億人と推定し、アメリカの歴史学者ルドルフ・ジョセフ・ランメルは1億4800万人と推定した。(2)(3)

これらの数は、第一次世界大戦の犠牲者(約3700万人)や第二次世界大戦の犠牲者(5000万人〜8000万人)をも上回る恐ろしい数だ。

資本主義全盛期に生きる私たちは、資本主義がいかに人を強欲にし、利己心に訴えかけるかという場面を日常的に目にしている。しかし、人の利己心や暴虐性を最大限引き出すという意味においては共産主義ほど優れたシステムはなかったようだ。

ただし、カール・マルクスが愛情や友愛と縁のない利己主義者だったかというとアダム・スミス同様に疑問が残る。彼は思想的に敵対する人物からするとエゴイストそのものに映ったようだが、プライベートな側面を見ると、子供好きで有名で、孫たちからは愛されるおじいちゃんだったようだ。

アダム・スミスもカール・マルクスも、より利他主義に基づいたシステムを創ろうとはしなかったのだろうか。なぜ、20世紀のイデオロギーの大きな闘争は「利己主義VS利己主義」という構図だったのだろうか。

自己中心にならない人たち

利他と利己の隙間をもう少し覗いてみよう。

カナダで夫婦間の関係修復について研究している心理学者、マイケル・ロスとフィオーレ・シコリーによると、パートナーとの関係維持のための全ての努力を2人分合わせて100%とするならば、あなたはそのうちどのくらい貢献しているかとカップル双方に問うと、37組中27組は2人合わせて100%をかなり超えたという。(4)

100%を超えるということは、相手よりも自分の方が貢献していると、少なくとも片方は感じていなければ起こり得ない。最悪のケースは両方とも自分の方が貢献していると思っている状況で、この場合どうやら2人の未来は曇り空だ。

こういった結果は、自己中心性バイアスとして知られ、起こっている出来事を客観的にではなく、自分を中心とした軸で解釈してしまいやすいと心理学では説明される。

しかしよくよく考えてみてもらいたい。

この実験を大規模に行なった場合には、双方の関係維持のための貢献度を合わせても100%に満たないケースが存在するはずだ。

その中でも注目したいのは、例えば自分の貢献度がどちらも40%と答えるような「お互いに相手の方が貢献していると感じている場合」だ。このカップルは自己中心性バイアスから逃れているどころか、どう考えても幸せそうだ。

考えてみてほしい。あなたに生涯を共にしたいパートナーがいて、どうしたら長期的で円満な関係を築けるか知りたいと思っている時に相談したいのは「お互いに自分の貢献度が高いと思っているカップル」と「お互いに相手の貢献度の方が高いと思っているカップル」のどちらだろうか?

答えは一択だろう。お互いに相手の方が貢献してくれていると感謝の念を持っているとしたら、どれだけ微笑ましい関係性だろうか。そのことをお互いが理解したら間違いなく幸せを感じることだろう。

しかし、この手の実験は過去において自己中心性に焦点が当てられてきた。これはあまりにも不思議なことだ。私が個人的に知りたいことは、その自己中心性バイアスにかかっていそうな27組の事情ではない。相手の方が貢献度が高いと双方が感じている稀有なるカップルの方だ。

自己中心性バイアスを明らかにするのもいいが、そこに引っかからない、相手をより尊重し合っている関係については、我々の歴史は研究することを残念ながら怠ってきた。それは今日の離婚率を見れば明らかだ。

かつて、心理学者のアブラハム・マズローはこう指摘した。(5)

人間はどれほど背が高くなるものかという問題に解答を得ようとすれば、すでに最も背の高い人をとり挙げ、研究することがよいのはいうまでもない。(中略)もしも、人間の精神的成長、価値的成長、道徳的発達の可能性を知ろうとすれば、最も道徳的、倫理的な聖人を学べばよいと私はいいたい。

独裁者ゲーム

人間の協力行動を調べるために、研究者が考え出した『独裁者ゲーム』と呼ばれるものがある。

これは、現実世界で使用可能なお金をプレーヤー1に与えられ、別のパートナーであるプレーヤー2と分配するだけの単純なゲームだ。与えられたお金はプレーヤー1の自由な裁量で、いくらプレーヤー2に与えるのか(あるいは与えないのか)決めてよい。

お互いは赤の他人であり、匿名が守られるので、評判などを気にする必要はない。さて、あなたがプレーヤー1で1万円受け取ったとしたら、プレーヤー2にいくら分配するだろうか。

古典的な経済理論にのっとるならば、人間は合理的で利己的なので、全部自分だけで総取りするはずだが、現実的にそういう判断をする人は少ない。

このゲームを人類学者たちが世界中で行ったところ、相手に与える割合がゼロを提示したのは全体の5%、ゼロよりは多いが半分未満与えたのが全体の56%、相手にちょうど半分分配したのが全体の30%、相手により多く与えたのは全体の9%だった。(1)

ただし、この実験は地域差が非常に大きく、ボリビアのチマネ族のように相手に分配した額が平均26%を示した例もあれば、アメリカのミズーリ州のように約50%を相手に分配した地域もある。

この実験が面白いのは、贈与における不純物を除去できるところにあると思う。本当は与えたくないのに、以前高価な贈り物を受け取った以上そういうわけにもいかないという義務的な贈与は起こり得ず、周りに気前よく分け与えておけば、自分の評判が良くなるだろうという打算的な贈与も起こり得ない。匿名制にすることで、純粋な気持ちにそれなりに近い人間の本性を測定できるのだ。つまり、現実社会における贈与と違って、相手に何も与えなかったとしても、自分の名誉には一切傷がつかない。

それにもかかわらず、地域や文化の差によって結果が大きく異なるというのは実に面白い。それは「人間は等しく自己中心的だ」ということを意味しておらず、「人間は利他的に助け合える社会を築くことができる」ということを意味しているように思えるからだ。

利他性を中心とするOS設計をした組織や社会が、今も世界のどこかで少しずつ形になっていると期待しているし、今後もそういった情報に注目していきたい。

ブループリント:「よい未来」を築くための進化論と人類史(下) 単行本 – 2020/9/17

参考・引用
(1)ニコラス・クリスタキス『ブループリント:「よい未来」を築くための進化論と人類史(下)』NewsPicksパブリッシング、2020年

(2)ステファヌ・クルトワ『共産主義黒書〈ソ連篇〉』筑摩書房、2016年

(3)R. J. Rummel(Routledge: Little Brown, 2018), Death by Government: Genocide and Mass Murder Since 1900 (English Edition)

(4)Ross, M., & Sicoly, F. (1979). Egocentric biases in availability and attribution. Journal of Personality and Social Psychology, 37(3), 322–336.

(5)アブラハム・マズロー『人間性の最高価値』誠信書房、1973年

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら