全ての問いに正解があるという幻想

数年ぶりにゴールデンの時間に流れているテレビをたまたま見た。端的に言うならば、天才小学生たちが自分の好きな分野のクイズで大人たちを凌駕していという番組だった。

率直に言うと少し違和感を感じた。この時代に、単純に知識量が豊富な子供を褒め称える流れを加速させるような番組が視聴率を取れることにだ。実際取れてるのか知らないが。

わかっている。クイズというエンタメが悪いわけではないし、知識を暗記することが悪いわけでもない。ただし、単純な知識の暗記が出来ても、もはやそれだけでは役には立たないことを子供たちには教えるべきだと明確に感じていて、とてももどかしいのだ。そんな情報は掌ほどのサイズしかない高性能端末が全部教えてくれるんだ。しかも、現代ではどんな家族やペットよりもその端末と一緒にいる時間が長いというおまけ付きだ。

子供が自分の好きなことに興味を持って、探求していく分には様々な知識に触れていくのはもちろん素晴らしい。ただ、好きだから知りたいと思う子どもの純粋な心が、正解を知っているということを褒め称えていく大人によって壊されないのか心配でたまらないだけだ。

心の萎縮とロボット化

先日、田中泰延さんのツイートが話題になった。就活のセミナー講師をやっている肌感覚として「学生の心の萎縮とロボット化」が酷いと痛感している内容だ。

これは仕方ないかもしれない。私が今の時代における20歳の学生だとしよう。とすると、中学生や高校生くらいの年齢からスマホを使ってきたと考えるのが自然だろう。当然SNSにどっぷり使ってきたはずだ。

例えばツイッター上では、大人たちが正しさを押し付けあって、少しでも間違っていると感じれば炎上させる。時には個人情報を晒し上げられることだってある。LINEなどの身内のグループでは、空気を読むことが今まで以上に重要になる。何か失敗すれば、自分の黒歴史となり得る内容が、ただのテキストのみならず、画像や動画などのリアリティを伴って、文字通り光の速さで共有される恐れがある。もれなく半永久保存機能付きだ。

失敗や間違ったことが即座に周囲に確認され、記録としても確実に残り、絶対正義マンから叩かれるネット社会は子供達の育つ環境にどういう影響を与えるだろうか。

そりゃ萎縮して怯えるし、正しい回答を言わなきゃいけないと、ネットに書いてある正解らしき情報に頼るとしても無理はない。あいにく、SEO的にも正解らしき書き方をした情報が上位に上がってくる。情報量も膨大で、どこかに必ず正解があると信じるのは難しくない。

そういう環境で育ちながら、学校では正解のある問いしか求められないとすれば、正解のない問いが存在するということを認識するのは実は難しいのではないだろうか。私だったらピンとこないだろうと思う。

何ということだ。20世紀は人類歴史上一番人権について考えられた時代だった。人種差別は悪とされ、男女は平等だと認められ、世界は大規模な殺し合いを経験しながらも、人間の尊厳を守る方向に進んだ。

そして21世紀。人間の尊厳は何処へやら、2020年の学生を見ると、人間はロボット化に向かっているらしい。若者が未来の象徴である以上、少なくとも日本の未来は大袈裟に言えば人間のロボット化だ。

AIの恐ろしさを語る前に

余談になるが、『サピエンス全史』で一躍有名になったイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、著書の中でAIの未来について鋭い推察を残した。

多くの人がSF的なAIが意識を持ち、わかりやすく人間を支配する未来というのは、人間の意識や心のメカニズムがわかっていない以上、まだ大分先の話だが、当面の脅威は別にあると言う。それは「AIが人間に従順すぎるという脅威」だとハラリ氏は指摘する。(1)

例えばある国と別の国が戦争になって、人間がAIに「相手の国に核爆弾を100発投下する」とプログラムしてしまえば、AIに躊躇はない。人間ならではの、流石にこれ以上は必要ないという感覚的な判断はAIには出来ない。

20世紀に残る大虐殺となったホロコーストにおいて、ユダヤ人を直接処刑した人間は病んでしまうことがあったと聞いたことがある。事実かは置いとくとしても、理屈としてはよくわかる。自分に特に害を与えていないユダヤ人をいきなり殺さなければならないとなれば、善良な人間であれば正気ではいられないだろう。しかし、AIならこの手の虐殺に感情を入れず最後の1人まで任務を完遂する。

マハトマ・ガンジーの非暴力不服従は人間に対しては良心に訴えるという意味で理にかなった作戦だ。何しろ、こちらが殴っても全く殴り返して来ることなく、また近づいて来るのだ。

特に何の恨みもなく、こちらから殴っても殴り返してこないような人間を殴り続けるのは難しい。人間の良心はそれを簡単には許さない。そんなことをするのはとても心が痛い。相手が殴り返してきてくれれば反撃するのは容易なのだが。

しかし、この人間の本質に則った非暴力不服従はAIには一切の効果がない。ガンジーは完敗を喫するだろう。こういった側面をハラリ氏は正に指摘した。

しかし、しかしだ。いくらハラリ氏でも、それ以前に人間がロボットに近づきつつある恐怖を指摘してはくれなかった。助けてくれハラリさん。

本質的な問いに正解はあまりない

人生で問われる本質的な問いに方程式のようにシンプルな答えはない。我々がぶつかるのは「進学を勧められるけど、自分が何をしたいかそもそもわからないし、この先どうしたらいいのかもわからない」「彼女からは好かれているけど、結婚するべきなのかわからない、そもそも自分が彼女を本当に愛しているのかもよくわからない」「転職するべきか迷っているが、そもそも人間関係が嫌なので、できるだけ働きたくないし、転職したとしてもうまくやっていける自信もない」など、どう考えても明快な正解などない難題だ。

生きていく上で避けられない人間関係だって、難しいことこの上ない。自分の弱さを見せることが信頼に直結する人がいる反面、弱さを見せたことに対して攻撃的にマウントを取ってくる人もいる。正解はない。状況次第人次第なのだ。

簡単に謝ってはいけないと主張する人がいるが、謝れる人に絶大な信頼を置く人もいる。謝ってはいけないとする人は謝る行為を自信のなさの表れで責任からの逃避だと説明するが、謝ることを良しとする人から言わせれば、謝る行為は自分の非を認めても揺るがないという自信の表れだ。どちらも正解だし、不正解にもなり得る。

変動性、不確実性、複雑性、曖昧さの頭文字を取ったVUCAの時代と言われる現代。おそらく未だかつて個々人の哲学がここまで問われる時代はなかったのではないだろうか。

ここには、主君に忠誠を尽くせばそれで良いというシンプルな正解もなく、良い大学に入って大企業に勤めることが幸せというモデルも意味がない。個々人が自分の正解を哲学的に見出しながら、それをアップデートしていくほかはない。

FacebookやGoogleのアルゴリズムが勧めてくれる商品のように、自分の人生をもはやアルゴリズムに委ねたほうが最適解にたどり着くのではないかと思わない限りは。

参考・引用
(1)ユヴァル・ノア・ハラリ『21 Lessons –21世紀の人類のための21の思考』河出書房新社、2019年

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら