教育において最も重要な要素の1つは、自分と他者との間にどういう世界観を持たせるかだと思っている。アリから見た世界観と人間から見た世界観には大きな違いがあるが、人間同士でも当然国や文化などの違いによって大きな差異が発生する。
その中でも、自分と他者の関係に関する世界観が違うと、人生はあまりにも大きく変化する。今回は、同じ人間における2つの世界観のタイプについて考えたことをまとめてみたい。
うさぎとかめの世界観
誰でも知っているイソップ童話に「うさぎとかめ」という作品がある。
この作品の世界観はシンプルに言えば「競争で勝った方がアイデンティティを得る」ことにある。
違う言い方をすれば、「結果を出すことで認められる」「相手よりも優れていることが意味を持つ」「敗者は恥をかき、評価を失う」という競争社会だ。
この世界観では「周囲からどう見られるか」が何よりも重要だ。自分の評価は周りとの比較で決まる。
自分が周りと比較した場合にわかりやすく優れていれば、自分の存在を確立して満たされ、自分が周りよりも劣っていると感じれば、焦りや不安や嫉妬を感じる。その結果、奮起する人も潰れてしまう人もいるだろう。
日本や韓国や中国はこういった「うさぎとかめ型」のアイデンティティが文化的に根付いていると感じる。
小さい頃から家庭教育で「今わがまま言ってるのはあなただけだよ」「あそこの家のA君はすごく頑張っている」「お兄ちゃんは優秀なのにあんたは…」「今度のテストで上位10位に入ったら何か買ってあげる」のような言われ方をしたことはないだろうか。
このような教育態度は良くも悪くも、「うさぎとかめ型」の世界観を加速させ、勝つことで認められるしかない感覚を持たせる。頑張らなければ愛されないと思っている人は多いはずだ。
日本の受験競争もその現象の1つだと思うが、韓国はより激しく、中国では勝つためならば手段を選ばないという感覚がさらに強く尖っているように感じる。
そして、周囲との比較、競争意識が強いせいか、真面目に努力する傾向があるのも特徴だ。
くまのプーさんの世界観
「うさぎをかめ」とは全く違う世界観を持っているのが「くまのプーさん」の世界観だ。この作品の登場キャラクターはそれぞれ動物の種類が全然違うが、個性を大切にして生きており、特に競争はない。
主役のプーさんも、何かが優れているという見せ方をしているキャラクターではない。食いしん坊で、温厚で、仲間思いの憎めない存在なのだ。
このような、競争よりも個性、あなたはあなたらしくという世界観が特に強い国として挙げられるのはデンマークやフィンランドなどの北欧で、競争をあまり重要視しない結果、社会的なステータスに対する意欲が低い。その代わりに自分らしさにこだわりを持っている。
注目するのは、他者との比較における優劣ではなく、自分の中の理想と現実だ。他者を基準とせず、あくまで自分を成長させることを楽しみとする。
この世界観では、不要な競争意識や比較から来る圧力に苦しむことは少ないが、自分なりの価値観や方向性を早くから確立していく必要がある。これは、周囲を見ているだけでは中々確立されない。
教育としては、親が周りとの比較を伴うような表現を避け、子供がどう感じどう考えるのかということを日常的に引き出していくようなやり方でなければ、特に「うさぎとかめ型」の文化の中でこのように育つのは難しい。
また、リスクとしては、競争と無縁になると周りと比較しなくなり、努力と遠ざかるということも起こり得る。
SNSが引き起こした、うさぎとかめ24時
昨年、デンマークの幸福研究所(Happiness Research Institute)は、Facebookを1週間やめるだけで、幸福度や人生に対する充実度がアップし、不安や悲しみなどの指標が低下することを発表した。(1)
この手の研究は珍しいものではなく、例えば、アメリカのミシガン大学のイーサン・クロス教授とベルギーのルーベン大学のフィリップ・ベルドゥイン教授は、人はFacebookを使うほど人生に対する不満を感じるという研究を発表している。(2)
なぜそうなってしまうのかという理由の1つに、Facebook(SNS)は、自分が充実しているという内容を投稿することが多いため、うさぎとかめの24hレースをスマホというデバイスを用いて確立させてしまったということが挙げられると思う。
人は、家でくつろいでいる時でさえ、スマホの通知で自分よりも幸せそうにしている知人のレースに巻き込まれるようになったのだ。そうなると、くつろいでいたはずが比較の世界へと景色を変える。
上述のデンマークの幸福研究所のレポートによると、「3人に1人は『#HAPPY』タグがついた他人の投稿に嫉妬している」という。「くまのプーさん型」の世界観が強いデンマークでさえそうだとしたら、日本や韓国ではどのような研究結果が出るのだろうか…。
日本では「インスタ映え」という言葉がある。とても恐ろしい言葉だ。
インスタ映えを強く意識するということは、「その場所で自分が感じている気持ち」よりも、「その場所で写真を撮り、SNSにアップした場合にどう見られるか」の方を優先しているということだ。
自分が楽しいのかつまらないのかよりも、その場所で撮った写真をアップしたらどう評価されるかを気にするということは、もはや現実よりもバーチャルな世界に生きているということになる。なんてことだ。
そうなると、Facebookは「現実における充実した経験をシェアする」ためにあるのではなく、「現実の自分の気持ちとは関係なく、とにかく充実していると思ってもらうため」に存在することになる。極端な言い方だが、その傾向は正直誰もが感じているのではないだろうか。
移行する世界観
「うさぎとかめの世界観」は証明することに力点を置く。自分が有能だと、自分が必要だと、他者に証明することに意義を感じる。
しかし、近年少しずつ若者を中心に「くまのプーさんの世界観」を求める傾向が見られはじめているように思う。若者たちは競争を好まなくなってきている。
しかし、世界観の移行はどのように起きるのだろうか。現状、社会のあらゆる組織はヒエラルキーの形態をとっており、その頂点にいるのは競争が好きな「うさぎとかめ型」の世界観を持った人たちが当然多い。
「くまのプーさん型」の世界観を持った人は社会的地位をあまり重要視しないので、組織のトップになることがモチベーションになりづらい。
「うさぎとかめ型」の世界観の人たちが頂点に君臨し、圧倒的な影響力を行使する社会の中で、「くまのプーさん型」の世界観の人たちがどう居場所を確保し広がっていくのか、考えるだけでも楽しみだ。
引用・参考
(1)https://www.happinessresearchinstitute.com/
(2)https://www.economist.com/science-and-technology/2013/08/16/get-a-life
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