人を批判しない生き方

批判…と聞いて、皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか。人生の結構な割合を批判的思考に費やしてきた自覚のある私ですので、その辺りの変遷をここでまとめておこうと思います。

先日、ブログの中で、大学時代まで人を見下してきた人生だったと書いたのですが、同様に人に対する批判グセが私にはありました。

人は違うということを痛感させてもらった失敗談

2019年11月10日

直接攻撃こそしませんが、陰で分析しては批判していました。小さい頃の私は批判的な思考が好きで、論破したり言い負かしたり、相手の言い分より自分の意見の方が正論だと思えることで満足を得ていたように思います。

ただ、これも大人になるにつれ意見が完全に変わりました。批判というのはコトやモノに対してはしても大丈夫だが、人に向けるというのは美しくないのではないかと考えるようになったのです。

おそらくきっかけは2つ。大学時代に多くの哲学や歴史を学び、捉え方や考え方が整理されたということ、そして多種多様な人と語り合う中で、感性が変わっていったこと。

論理的に考えると

論理的に考えると、相手を言い負かす、あるいは相手が間違っていると決めつけてしまえば、それが相手に伝わることで精神的に大きなダメージを与えてしまいます。

相手が心に傷を負えば、こちらの意見が正論だろうが間違っていようが、感情的に敵視されることになるでしょう。それが深いものであれば、なんらかの形で復讐されてもおかしくはありません。

その場合、誰も幸せになりません。気の合わない人とただ静かに距離を置くことは時に必要だと思います。しかし、気の合わない人をあえて敵にすることは傷や恨みを残し、終わらない宗教戦争のような構図を生み出す可能性があります。凶悪な殺人事件も、小さく見える感情的な攻撃がきっかけになっていることは多いと思われます。

そう考えると、人を批判するということには大きなリスクが伴うことがわかります。丁寧に、その人自身とその人の行動を切り離して批判するなどの配慮をするならば話は別ですが。

直感的に考えても

そして、自分の感情にも深く目を向けてみると、批判している時の自分の新しい側面が見えてきました。

相手を批判して言い負かした後の満足感というのは、心からの満足感というよりはどこか背徳的な感じがすることに気づいたのです。相手が間違っていると攻撃し、相手が傷つくことを望んでいるようなねじ曲がった言葉にしづらい感覚が存在していました。人の役に立った時のような晴れやかな感じはあまりせず、言い過ぎたかもなーと後で後悔する時さえありました。どこか苦しいのです。

とするならば、心から納得していない…リトルホンダじゃないですが、本当はそれでいいと思っていないのかもしれません。

そしてその違和感は、相手自体を尊重しているが、人以外のモノやコトなどと切り分けて批判する時にはそこまで生じないことに気づきました。つまり、誰かが傷つかないように配慮した上での批判です。

批判しない自由

ここまで書くと、誰かを思うままに批判できないのは不自由だと考える人がいるかもしれません。あくまで私のケースですが、逆にとても自由になりました。

どういうことかというと、誰かを批判すると、どうしても負のエネルギーというか、イライラするような雰囲気に自分の状態が変わってしまい、何かを創るときのようなワクワクした気持ちや、ディズニーランドの中にいるような興奮や、パートナーとじーっと見つめ合っているような幸福感が吹き飛んでしまっていました。

うまく説明するのは難しいですが、例えば批判ばかりを並べているテレビ番組を見てあなたはそのようになりたいと思いますか?とても幸せそうに見えますか?意見は色々あるのかもしれませんが、私はそう思えませんでした。

人をあえて批判しなくなったことで、そういった負の感情から解放されて自由になったー!というのが率直な私の感想です。もちろん、未だに批判的になる時もありますし、長く時間をかけて少しずつ変わっているというのが正直なところではあります。まだまだ未熟です。

批判的にならないコツ

さて、人に対する批判を減らすにはいくつかコツがあると思うのですが、自分が人を批判したくなった時に相手には相手の事情があるし、相手にしか見えない景色があることを何度も意識し、実際に聞いて確認してみると有効だと考えています。

相手の事情や見ている景色を確認する前に批判するのは、あまり意味がないと思います。

例えば、ある男性が会ったこともない見知らぬ男性を非常に残忍極まりない方法で殺害したとします。どうやったら、そんなひどいことが出来るのか…というレベルです。

ニュースでその事実が流れれば、国民は殺人犯にすぐに重い刑を与えてほしいと感情的になるかもしれませんが、そこで新事実が明らかになります。

殺人犯の交際相手は、殺された男からレイプされたことにより精神を病んでしまい自殺してしまっていたのです。

そしたら国民の認識は一変しますよね?人には人の事情がある。世の中そんなことばかりのように思います。不必要な批判の矢で傷つく人が1人でも減ることを願ってやみません。自戒の念を込めて。

正しいことを正しいと言うことが必ずしも正しいわけじゃないという話

2019年10月26日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible