人は違うということを痛感させてもらった失敗談

これまで当ブログの中で、人のタイプや感性の違いを理解するというニュアンスの内容をいくつか扱ってきました。どれも人間は違うという私の大切にしている価値観が反映されたものですが、今日はそれが形成されたきっかけと、違うという素晴らしさについて考えてみます。

自分だったら…という独善の罠

大学時代に同級生や後輩たちと積極的に語り合うようになり、様々な相談に乗り始めて1年ほどが経過した時、私は最初の大きな壁にぶつかりました。

それは「なんでそんなことで悩むのだろう」と思うことが増えてしまったこと。私は元々HSPではありますが、比較的何でも要領良くこなすことが多く、大学生までは深刻に悩むことが少なかったのです。

それ故に、小さいことで悩んだり前に進まなくなっている人を見てあまり共感できず、率直に言うならば見下していました。当時の私は、自分だったらこうするけどなーという、いわゆる強者の論理を振りかざしており、とても傲慢な人間だったと思います。お恥ずかしい限りです。

人は違うという衝撃的な当たり前

そのような私に、人は違うという当たり前ながら極めて深みのある内容を教えてくれたのは当時の先輩でした。

ある時、悩む後輩の相談を受けながらも中々共感できず、良いアドバイスをしてあげられないもどかしさを感じていた時がありました。

そんな中、私は尊敬していた先輩に、ふと弱音を吐いてしまったのです。「自分は人生でそこまで深く悩んだことがないので彼らの気持ちがわからないのかもしれません」と。

先輩は少し考えて私にこう返しました。「君がそう考えるのであれば、君は(誰かから相談されても) 君と同じ感性を持っている人しか救えないね」

私はその一言に衝撃を受けてしまいました。
その理由は、あまりにも正しい言葉だったからというのが一点。

そしてもう一点は、その先輩の言葉で、私は自分が後輩を正しい方向に導こうとは考えていたものの、そもそも自分の考えが正しいという前提で接しており、後輩自体のことを深く理解して違いを認めようとしていなかったということに気付いてしまったからでした。あまりにも独善的だったのです。

誰もが全然違う景色を見てきた

人は違うという当たり前のことに深く注目するようになった私は、これまで受けていた相談とスタイルが全く変わり、違いというものが面白くて仕方ないと思うようになりました。

例えば、誰もが当たり前に毎日味わっている夕食にフォーカスしてみます。
夕食一つ取ってみても、話を聞いてみると、家族揃って食べていた、一人で食べていた、親だけは仕事だから兄弟で食べていた、など状況が違います。また、食事中にテレビを見る見ないの選択、今日1日あったことをみんなで話すか話さないか、料理をこぼしたら台拭きを使うのかティッシュを使うのか、シチューはご飯と一緒にするのかそうでないのか、食べ終わりは個人なのか家族全体なのかなど無限に枝分かれしていて、夕食というありふれたテーマでも経験してきたものが全く違うと言えることに気づきます。

それが生活や人間関係全てにおいて当てはまっていて、自分が経験してきた当たり前などどこにも存在せず、存在するのは何が正しいかというものではなく、色彩豊かな無数の違いだけでした。

違うからこそ平等

日本の教育では同じようにすることや平等であることにとても焦点を当てます。確かに同じ地方の出身だとか、同じ趣味を持っているとか、そもそも同じ人間であるということは、相手を尊重する上でとても意味のあることだと思います。

ただし、それだけではダメだと思うのです。同じということだけを強調すると、同じということは善、違うということは悪というふうに色分けされてしまい、違いを認められなくなっていきます。

ですが実際は、違うからこそ人間は平等なんだと感じます。それぞれが持っているオリジナリティがあるからこそ平等。そう考えると、人は違うということはとても素晴らしいことであり、自分が人と違うことは誇らしいことのはずです。多様性に富んだ国やコミュニティに所属したことがある人ならその意味がわかるのではないでしょうか。

そういうわけで、当ブログではこれからも様々な違いについて考えます。どちらが正しいかを決めるためではなく、その違いが個性として尊重されるべき人間の面白さだと思うからです。

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ABOUTこの記事をかいた人

IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible