先日以下のようなツイートをした。
一番面倒なのは、自分の価値観を一切主張せずに隠して人付き合いをしている人が、時間の経過と共に全くこちらの価値観と違う噛み合わない人物だと判明すること。
— Lio (@Liochan_hsp) November 27, 2020
自分の強烈な価値観やアイデンティティをアピールしてくる人は本当にありがたい。それがこちらに合う場合も合わない場合も。
この辺りの、いわゆるマズロー心理学で「課題の分離」と言われるような感覚は、人生を大きく変える可能性を秘めているので、今日はここを考えてみる。
先日、ある友人から相談があった。
友人は、とある知人から一緒にビジネスのセミナーを開催しないかと誘われていたが、その知人への対応に困っていたのだ。
その知人をここではAさんとしよう。
簡潔に言えば、友人はAさんが嫌いだった。しかし、本人があまりにもしつこく頼み込んできたので断れなかったらしい。
しかも、Aさんの熱心さの根底にある動機は友人に対する信頼ではない。真の目的は、どうやらビジネスの才能がある友人のお兄さんに近づくことのようだ。
友人は疲れ果てていた。Aさんの傍若無人っぷりは度を越していたからだ。ビジネス上必ず必要な内容のやり取りは、返信が何日も遅れるのがざらで、ひどい時は完全に途切れた。
しかし、それに反して完璧に準備していたものがあった。セミナーのウェブサイトにおける自己紹介の部分だ。自分がどう映ったらかわいく見えるか計算し尽くされているかのようなポーズと表情、スマホのクオリティではあり得ない写真のクオリティ。明らかにプロの仕事だ。
セミナーの事務仕事は全くやらず、自分のPRだけは信じられないくらい熱心なAさんに対して、友人は完全に憤ってしまった。
世の中には、人の頼みを断れないからと、無理して頼みを引き受けて責任まで持って頑張ろうとするがなぜか報われない苦労人がたくさんいる。私の友人もその典型だ。
とりあえず、話を聞きながら整理して、セミナーを本当に開催するのかしないのかという選択をしてもらうことにした。
結局、友人はセミナーを開催しない決断をし、AさんにLINEを送って、無事Aさんからも了承された。
しかし、話はここから複雑になった。友人の愚痴が止まらないのだ。問題は解決したのだが、人間の感情というのはどうにもブレーキング機能が弱い。
そして、友人は一線を超えてしまった。
現実的な問題を解決したい→不平不満の感情が収まらない
までは、理解できる。感情と付き合うのは簡単ではないから、たとえ問題が解決しても、困難な時に感じた気持ちを誰かに共感してもらう必要がある。
だが。
とうとう友人は「相手を変えようと」し始めた。Aさんはもっとこうあるべきだということをどうにか本人に伝えようと考え始めたのだ。よく言えば正しい指摘、感情面からいえば完全に復讐だ。
これはまずい。
なぜなら、それは完全にAさんの課題であって、友人の課題ではないからだ。ましてや普段から信頼があるとか、これからも仲良くしていく間柄であるとか、そういった関係でもなんでもない。
色々不快な思いをしたのは事実だが、それ以上立ち入らないで、自分と相手の課題を分離して考えるべきだ。自分が嫌いな人間に振り回されないのが、本人のためでもある。
その場はどうにか納得してもらえたが、収拾にはかなりの時間と労力を要した。
課題の分離をしないデメリット
さて、課題の分離が出来ないことの大きなデメリットとはなんだろうか。
おそらく多くの人が、相手の課題に踏み込んでいった結果、その人との信頼関係を損ねたり、トラブルを引き起こすことだと考えるのではないだろうか。
それは確かにその通りだと思うのだが、もう1つ、自覚しにくい観点で大きなデメリットがある。
自分に相手の課題に踏み込んでいく感情の癖がついている場合、課題の分離を普段意識していて実行している人から知らず知らずのうちに距離を置かれてしまうことだ。
つまり、相手を信頼しお互いを尊重して人間関係を築こうとするような人が去っていく。課題の分離ができる人が、そうでない人と積極的に人間関係を築こうとは基本的にしないからだ。
かくして、人の課題に土足で踏み込む人同士が近くなっていきやすい構図になる。これは恐ろしいことだ。
「この人…」と感じてその周りの人間関係を聞くと、やはり同じような感性を人で集まるのだ。いや、誤解を恐れず言えば、そうじゃない人から避けられた結果、そうなってしまう。
この辺の繊細な感情は以前別の記事でも触れたことがある。
触れるべきではない情報
冒頭のツイートのように、強烈な自己主張や価値観を前面に出す人に対して、一々批判するのはもったいない。むしろ彼らはありがたい存在だ。近寄るなよという警告を出してくれているのだから。
先日、某芸能人が不倫騒動の謝罪会見を行ったらしい。内容は見てないので分からないが、間違いなく触れないほうがいい地雷のような情報だ。
不倫相手が我々の家族や恋人でもない限り、相手の課題に踏み込んで謝罪を要求する雰囲気の内容には気をつけたほうがいい。
さもなくば、相手の課題に踏み込むことが当たり前という感覚を身につけてしまう。
気づけば、自分に被害がないにも関わらず、何か道を誤った人をバッシングすることに喜びを見出す歪な感情をもってしまうようになる。そして人の間違いを許せない人間になっている。自分のことを棚に上げて。
間違いを正すのはあくまで司法の仕事であり、関係者以外は踏み込んでも仕方がない。
率直に言えば、芸能界は比較や格付けによる優越感や劣等感、妬みや嫉妬、批判などの負の感情を揺さぶられる情報に溢れていて、それを見ていると大きく影響を受けて自分も気づかずにそういう人間になりやすいので、触れない方がいいとさえ思う。
そういう扇情的な内容が選別できず、嫌でも入ってくるのがテレビの難しいところだ。
日本は無関係者が他人の課題に踏み込みたがる「課題の分離後進国」だと私は認識しているが、オランダや北欧あたりの国は、他者に対する尊重の程度がすごいらしい。
オランダ系企業の経営者をやっている友人によると、本国の社長から仕事時間に連絡が入り「今日はどうだ?」と聞かれて「今日は今やってるF1の中継に夢中で(仕事中だけど)ずっと見てました」と答えたらしい。
それに対して本国の社長の返答は「俺も見てたよ」だったと言う。成果を出せば、F1見てようがあまり関係ないらしい。日本では考えられない感覚だ。
それでは、オランダはさぞ生きやすい国なのだろうかと思い、その友人に聞いてみると、「確かに個人をとても尊重はされるけど、そもそもみんな他人に本当に関心がない」との衝撃の答えが返ってきた。
それはさすがに寂しい。
人に対して、近すぎれば他者の課題に干渉し、遠すぎれば無関心になる。
本当に人間の感情は難しく、かつ奥深い。
初めまして、Lioさま。
とても勉強になります。
最近、自分がHSPで毒親持ちのACだと気づき、
自分を救うために心理学の本を読み始めた者です。
職場で1日を過ごすのが
だんだんしんどくなってきて、
バウンダリーを引く習慣を身につけようと奮闘中です。
「領域……領域……」と念仏のように心の中で
唱えているのですが、
仕事に追われているとついつい忘れてしまい、
今の面子は自己主張の強い人が多いためか、
(具体的に言うと、
合理的で共感力ゼロの人とか、
相手を立てない尊重しない、
物事がうまく進まないと八つ当たりする人とか……)
夕方にはへとへとになってしまい、
なかなか難しいなぁと感じています。
『魔女の宅急便』は最後まで観ましたが、
ラストは鼻の奥がつんと痛くなり、
映画館で涙をこらえるのに必死でした(苦笑)
これからもブログ楽しみにしています!
コメントありがとうございます!
文章を読んでいるだけで、色々な苦労をされてきたのだろうなぁという気持ちに包まれます。本当に大変なことが多いですよね。
特に、プライベートの人間関係と違い、職場での人間関係は自分の選択の余地があまり無いので難しいですね…。
実を言うと、私は職場の人間関係が嫌すぎて一度逃げて転職したことがあったりします。衣吹さんの人間関係も良い方向に向かうと良いのですが…。
自己満足のようなブログをわざわざ読んでいただきありがとうございます。これからも地道に書くので、お暇な時にでも見てくださいねー。