人との相性の良さをどう見抜くか

どういう人と相性が良くて相性が悪いのか。恋愛であれ、友人関係や職場関係であれ、合う合わないの問題は常についてくる。

合わないケースで分かりやすいのが、お互いの価値観が違うケース。価値観が違うという表現だと抽象的だが、お互いが正しいと認識しているものが違うといえば分かりやすいだろうか。

人間は今までの人生に基づいて、こうあるべき、こうすべきという正しさが自分の中に確立していく。

しかし、その正しさは1+1=2であるとか、最寄り駅への最短ルートはこの道であるというように、唯一解が出るわけではない。

しかし、人はあたかも「こういう状況ならこうすべき」という自分の考えが普遍的真理であり唯一解のように思い込む。かくして衝突が起こる。

自分の考えは絶対的なものではなく状況依存だし、場合よっては自分の考えも相手の考えも正しいと客観的に捉えられる人はあまり多くない気がする。

そんな中で最近特に相性が悪いなーと感じるのは、性善説寄りの発想をする人と性悪説寄りの発想をする人だ。

互いの信念

性善説寄りの人は、文字通りその人の良い部分に注目し、他人に対して基本的には信頼しようとする。相手の言動に対して細かく口を出すような、相手を制限する態度を取らずに信じて任せることを好む。

もちろん信用できない相手と思えば別だが、人に対して厳しく罰を与えたり、正したり、管理するようなことは必要最低限でいいと考える。

自由を与え、自分で考えさせ、その判断をできるだけ尊重することが相手のためになると思う傾向がある。

性悪説寄りの人は、文字通りその人の悪い部分に注目し、そこを指摘し、正すことに価値を置いている。別に悪気があってそうするわけではなく、何も言わなければ怠けてしまうし、何もしなくなってしまうのが人間で、結局その人のためにならないと考えるわけだ。

無条件に信頼するよりも細かく管理することや口を出すことにを重視するので、逆に自由を与えたり任せることは逆効果だという認識が強い。

さて、どちらの考えの方が「正しい」のだろうか?

正しさの致命的な罠

性善説寄りの人は、信じて任せてもらえた経験を肯定的に捉えていたり、細かく指導されたことを否定的に捉えた過去を通過している。

彼らの人生経験からすれば、まさに性善説で人を見るのが正解だ。

性悪説寄りの人は、厳しく指導された経験を肯定的に捉えていたり、自由に任されたことを、構ってもらえずに放っておかれたというように解釈している。

彼らの人生経験からすれば、まさに性悪説で人を見るのが正解だ。

もちろん、人間は基本的に自分がされてきたように人に対する傾向があるため、自己分析して性善説だとか性悪説だとか認識しているわけではなく、自分がこれまでされてきたように人にしているだけのことも多い。

さて、この性善説寄りの人と性悪説寄りの人は分かり合えるだろうか?

違いを理解する難しさ

単純に相手の価値観を理解して尊重し合えば良いと思われるかもしれない。

しかし、相手の価値観を尊重するにも簡単なケースと難しいケースがある。

簡単なケースを話そう。寒冷な地方で育った人と温暖な地方で育った人の相互理解だ。このケースは、確かに自分の今までの人生が相手の生活習慣やそれに伴う価値観への理解の妨げにはなり得る。

だが、相手の価値観への理解は、今までの自分の人生の否定にはならないので相互理解はさほど難しくない。

つまり、「自分は雪を見たことなかったけど、雪国では毎日のように雪かきをしなければいけないらしい」というような今までにない知見を受け入れるのは容易い。

しかし、先程例に挙げたような性善説の価値観の強い人が、性悪説の価値観を受け入れるとなると全く別の話になる。性悪説の価値観を受け入れてしまえば、性善説が正しいと信じてきた、今までの自分の人生や価値観を否定されたように感じるからだ。もちろん逆も然りだ。

そういう意味で、子育てや部下への指導の仕方などで価値観がぶつかってしまえば収拾するのは簡単ではないと思われる。お互いにとって自分が正しいと感じるだろうが、そこに数学的、論理的な正解はない。状況次第、相手次第なのだ。

極端に食い違う価値観

相手の嫌いな食べ物を自分は好きだとか、例え好みが違っても、それがお互いの人生観や人間観まで食い込まない場合はそこまで大した問題にはならない。

しかし、性善説と性悪説の違いように人生観や人間観、さらにはその人が人生で築いてきたアイデンティティの部分まで深く食い込んでしまうと、冷静にお互いを理解するのは簡単ではない。もはや自分が正しいという眼鏡を中々外せないだろう。

同じように、見返りを求めない世話好きの人と利益にならない人助けはしないという人の組み合わせや、権威主義者とフラットな関係を望む人の相性も悪そうだ。

いずれのケースもざっくりと表現するならば、性善説寄りと性悪説寄りの価値観ということになるだろう。

もし、誰かと長期的な信頼関係が結べるかどうか気になったら、性善説なのか性悪説なのかで自分と合うかどうか調べてみるのはどうだろうか。

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら