香港の民主活動家である周庭さん(英語名=アグネス・チョウ)が先日逮捕された。国家安全維持法違反とのことだ。(その後保釈された)
中国当局がこのような取り締まりを行うのはもちろん今に始まったことではない。この国の方向性は昔から極めて一貫している。
この手のニュースを聞くと、自由民主主義の下にある国に生まれてよかったと思う人もいるだろう。私もそう思う。
だが、逆に恵まれすぎているが故に忘れかけている本質があるのではないか。そう考えさせられた出来事を少し紹介したい。
中国の甘えのない競争社会
先週、高校卒業後に中国から日本に渡り、10年ほど経過した女性と話をする機会があった。彼女は日本に来てから日本語習得を開始し、今はとある国家資格を取って専門職についている。
両親も日本に来たことがないらしく、10代の頃から異国の地をたった独りで生き抜いてきた故の芯の強さ、はっきりと自分の考えを主張する雰囲気は、一言で言うならば、とても自立していると感じた。
彼女がわざわざ日本に留学し、暮らすきっかけになったのは、中国共産党に反対する父のアドバイスがあったからだという。彼女の父は、日本でもアメリカでもヨーロッパでも、あなたが住みやすい場所を中国以外で見つけて暮らしなさいと娘に選択肢を与えたのだった。
実際に、高校まで暮らした中国の教育環境はどのようなものだったのか、私は興味本位で聞いてみた。
すると、高校時代は、朝7時台から21時頃まで誰もが学校で勉強していたと話してくれた。裕福な家庭だと、さらにその後にお金を払って先生の自宅で教えてもらうこともあるようで、シンプルに、凄まじい勉強量だ。
日本の学生を見ていると、幸せそうでうらやましいと彼女は途中で口を挟んだ。
そして、それだけ勉強して受験に臨んだとしても、学力だけではなくお金が必要になるという。賄賂を渡す必要があるのだ。そして、それは大学だけではなく、就活でも同じようだ。
中国では、お金を渡すことで道を開いてもらうのが暗黙の了解となっており、そこに正義感で対抗しようものならば権力に簡単に潰されてしまう。中国では真実が重要なのではなく、力のある方が正義なのだ。
もちろん、政府にも期待できるわけがない。つまり、ある意味純粋な親の経済力やコネの勝負になってくるのだ。
日本人の私からすれば、何て劣悪な環境だと思う部分も当然あるが、見方を変えるとこう表現できる。全く甘えがない。
勝つしかないのだ。高得点を取るしかないし、お金を稼ぐしかない。頑張るしかないのだ。
そりゃ中国という国が強くなってしまうわけだ、と私は正直感じた。
批判するだけの人たち
日本では、コロナ禍で物事が上手くいかないのは政治のせいだと思っている人がたくさんいる。それだけではなく、何かあると政権批判を始めるのが癖になっている。
しかも、批判が殺到していると思いきや、その大事な国政を問う最近の選挙の投票率は50%程度に過ぎない。批判している人は全員投票しているなんてことは当然考えられない。
例えば、GOTOキャンペーンに批判が集まっているが、あのキャンペーンがなければ危ない旅行事業者だって存在する。誰かを救うことは誰かを救わないことだ。自分が救われる側に入れなかったことに不満があるのならば、オプションはいくつもある。
本人次第で政治的な影響力を及ぼせる自分になることもできる、政治的な影響力を持つ人とのコネを持つこともできる、それが無理なら自分が納得できる政治をやっている国に移住することだって可能だ。
そもそも、政治に関係なく自分の力で生きていく戦略を立てるという発想だってできるのだ。中国人はとっくにそうしている。
いつだって変えられるのは自分自身だし、自分の人生の舵を握っているのは自分だ。全て自分の選択なのだ。
それを政府のせいだと考える人は、一生自分にとって理想の政府など存在しないことにどこかで気づくことになるのだろう。瞬間最大風速的な期待や評価はあっても、どうせ長くは続かない。これまでのように。
私は日本のどの政党がこれから台頭しても、中国政府よりははるかにマシだと思っている。しかし、政府がマシであるが故に、自分ではなく政府がどうにかするべきという言い訳に流れてしまうのであれば、民主主義の敗北だと思う。
誰を変えることに熱中するのか
我々は残念ながらすぐに自分ではなく他人を変えようと躍起になる。そのために貴重な人生を浪費している。
今回私が言いたかったのは、政治に関心を持つなとか、投票に行くなということではない。また、政治に対する批判的な視点を持つなということでもない。
さらに、中国を称賛すべきということでもないし、実力をつけるべきとかコネを持つべきとかいうことでもない。
ただ、何か不満があるのならば、他人を変えようとするのではなく、自分ができることを考えて変わろうとするほうが建設的だという一点だけだ。そして現代にはいくらでも選択肢は広がっている。
そのことを、皮肉にも隣の独裁国家をたくましく生きる国民から教わったのだった。
難しい状況を誰かのせいにするということは、自分の人生の舵をそもそも誰かに委ねていたからだと思う。自分で責任を持って考え、自分で切り開く。それが足りないような気がしてならない。
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