優秀な人材が、その能力を「いかに広告をクリックさせるか」という競争のために捧げるのは果たして健全なのだろうか。
私は筋金入りの広告嫌いで、小学生の頃からテレビを見る時は、番組がCMに入った瞬間に、前もって準備していた本を読んでいた。広告からの影響を受けたくなかったからだ。
今やインターネットを使っているだけで、広告という無数の釣り針の中に晒される。GoogleやFacebook、その傘下のYoutubeやInstagramなどが広告を主要な収入源としているのだからそれは仕方のないことなのかもしれない。
おそらく歴史上、釣堀の中の魚の気持ちを現代ほどリアルに感じられる時代は初めてだろう。我々は、釣堀の中で無数の針を目にしながら、時々それに食いついて釣り上げられる魚に似ている。違うのは、それが釣堀の池の中なのか、ネットやSNSのプラットフォームの中なのかだけだ。
しかし、餌に食いついて釣り上げられたとしても恥ずかしく思う必要はない。
釣り師はそこらへんの素人ではない。最近では名門大学を卒業した人材が積極的に釣り師になりたがっている。そう、Webマーケターといった、どうやらハイクラスな名前のついた釣り師に。
さらに、近年では高性能な釣りAIさえ現れ、何としても釣堀の魚を釣ろうと躍起になっている。そう、アルゴリズムのことだ。
GoogleをはじめとするIT企業は個人情報を収集し、その人の年齢や性別、行動履歴などから必要としていそうなYoutube番組をオススメし、商品を紹介し、アプリをダウンロードさせる。
「なぜここまで自分が明確にターゲティングされているのか」と気持ち悪く、恐ろしくなったことがある人も少なくないだろう。
2021年1月13日のニューヨークタイムズ紙では、SNSの大移動という内容が記事になった。(1)
Facebook傘下のWhatsAppというアメリカなどで主流のメッセージアプリから、他のメッセージアプリへ大移動が起きていると報じたのだ。
その原因は、WhatsAppがユーザーのデータの一部を親会社であるFacebookと共有しているという噂だった。また、それに付随して自分たちのメッセージのやり取りは見られているという違う噂もその流れを加速させた。
結局それらは噂のレベルを過ぎない内容だった。しかし、それにも関わらず、人々がSNSを移動したということが重要になる。
つまり、真実かどうかわからない内容に振り回されるほどには、人々はネット社会におけるプライバシーの問題に敏感になっている。
実際、昨年5月にはカナダ・オンタリオ州トロントにあるウォーターフロント地区がスマート・シティ計画から撤退した。理由の一つは、プライバシーに対する懸念のようだ。
その計画を担当していたのはGoogleの親会社であるAlphabet傘下のSidewalk Labsという企業。そう、個人情報の取り扱いで何かと話題になるGoogleと関連していた。
ビッグデータをうまく利用するためには、その地区の人の個人情報を収集して分析する必要がある。利便性とプライバシーの二者択一を迫られた州政府は、結果的にプライバシーを優先した。
そしてこの文章を書いている今も、Clubhouseという話題の音声SNSのユーザーデータが中国企業に送られていることが判明し、世間を大いに騒がせている。
以前は個人情報など、おそらく特定の有名人にしか価値はなかった。無名の一人の人間の個人情報など誰の役にも立ちはしなかった。署名運動があれば、自分の情報など気にせずに署名できたし、家の表札には家族全員の名前や住所がもれなく記載してあった。(田舎は今でもそういう地域があるだろう)
だが、現代は危険だ。自分がいかに無名だとしても、行動履歴にはその人の趣味や指向、思想や関心事などがはっきりと表れ、AIによって高度に分析される。
分析されれば、あなたの消費行動に大いに影響を与える情報に囲まれ、何らの影響を受けてしまうのは間違いないだろう。また、監視されているという不快感も今ならセットでついてくる。
究極のトレードオフ
少しずつプライバシーの重要性を認識し始めた人類だが、どうしてもプライバシーを明け渡す必要がある分野が存在する。健康だ。
イスラエルの歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリは自著『21 Lessons –21世紀の人類のための21の思考』の中で、医療とAIの未来について、次のような見解を示した。(2)
人間と機械は完全に融合し、人間はネットワークとの接続を絶たれれば、まったく生き延びられないようになるかもしれない。子宮の中にいるうちからネットワークに接続され、その後、接続を絶つことを選べば、保険代理店からは保険加入を拒否され、雇用者からは雇用を拒否され、医療サービスからは医療を拒否されかねない。健康とプライバシーが正面衝突したら、健康の圧勝に終わる可能性が高い。
つまり、生まれた時から脳や体に健康情報を知るためのマイクロチップが埋め込まれ、それにより常時モニタリングされる。その上で、何らかの異常が認められた場合には、即座に本人にネットワークを通じて通知が行くシステムが存在するような世界になった場合、多くの人にとって自分のプライバシーを保持するのは諦めざるを得ないという話だ。
自分の情報を提供さえすれば「なんかおかしいと思ったらステージ4の癌だった」ということは今後一切なくなる。提供しなければ、自分の健康に関する潜在的なリスクを感知するのは非常に難しいままだ。
あなたはどちらを選択するだろうか。ハラリの指摘のように、プライバシーを選択するのは至難の技だ。
それならば、どうしてもプライバシーを諦めざるを得ないこの健康という分野で健康情報を集めつつ、どさくさに紛れて違う個人情報まで収集する動きが起こりそうなものだ。何しろ個人情報ほどお金になるものはない。
スウェーデンでは、手にクレジットカードなどの個人情報を含むマイクロチップを埋め込み、それをかざすことで買い物や電車の利用を可能にする制度が数年前からすでに始まっている。
こうした中で、例えば医療データの確保と称して体にチップを埋め込む際に、実はGPSや加速度センサーもそこに加えて、現在位置や行動まで監視する国が現れてもおかしくない。その場合はもはや監獄に入っていない囚人に近いかもしれない。
すでに街中に監視カメラが設置してある中国なんかはその筆頭だろう。
こうして、プライバシーを手放さざるを得ない分野とそうでない分野の境界線が曖昧になった場合、我々の生き方はとても難しくなる。
我々がプライバシーを手放した場合には、自分に影響を与えてくるアルゴリズムや情報との戦いに臨まなければならない。
いや、残念ながら戦いはもうすでに始まっているようだ。我々の自覚の有無に関係なく。
通知という名の悪魔
スマホ社会の難しさは釣り針をたくさん垂らしてくることだけではない。
SNSやYoutubeなどのサービスは、広告をクリックさせるように誘導するだけでなく、自社のサービスに時間を長く費やしてもらえるよう誘導する。
気づけばSNSのタイムラインをずっと見ていたり、おすすめに表示されるYoutubeの動画を連鎖的に見ていて、気づいた頃にはだいぶ時間が経っているという多くの人が日常的に経験するあの現象だ。
そう、我々は釣り針に注意するだけでなく、時間泥棒との戦いにも臨まなければならないようだ。
そうなってしまう理由の1つは、生物の欲求に関係する神経伝達物質ドーパミンの働きをSNSはうまく利用しているからだ。
ドーパミンと言えば、報酬を得て喜びを経験する時に放出されると以前は考えられていた。しかし、最近では「喜びを予測する時」により多くのドーパミンが放出されることがわかっている。(3)
ギャンブル依存症の人は、勝った後よりも賭けをする直前、コカイン中毒者はコカインを摂取した後よりも、粉を見た時だ。
報酬がありそうだという予測をした時に、ドーパミンの量は急増し、行動のモチベーションが一気に上がる。実は自分たちをより動かすのは、報酬の実現よりも報酬の予測だ。
SNSのシステムはこれを非常にうまく利用している。自分が投稿した際に「いいね」や「リツイート」がもらえるかもしれないという予測時に放出されるドーパミンは非常に大きい。
また、送ったメッセージに「既読」がつくかどうか、「返信」がそろそろきたのではないかという予測時も全く同様だ。
我々はこういった予測時に放出されるドーパミンに踊らされ、結局SNSを長時間使ったり、一度使用を終えてからあまり時間が経っていないにも関わらずまた確認したりしている。
当たるかもしれないという刺激が好きでやめられないギャンブル依存症の人や、凄まじい低確率のガチャのためにすごい額を課金しているソシャゲ依存症の人に対して、あなたは軽蔑するかもしれない。
しかし、あなたが胸を張ってスマホ依存症ではないと言えない限りは、ドーパミンに踊らされているという点においては彼らと何の違いもない。
Facebookが「いいね」を見出し、LINEが「既読」を機能にしたように、これからも新たな通知が我々の神経を刺激していく。こういったサービスを営利目的の企業が運営している以上、避けられない方向性となりそうだ。
我々は通知に支配されている。
目の前の相手と会話できない
話はまだまだ終わらない。
スマホ中心のネット社会には、自分の個人情報提供からくる釣り針や、通知という悪魔以外にも問題がある。
そのことを的確に表現している先述のハラリの言葉を引用しよう。(2)
人間には体がある。過去一世紀の間に、テクノロジーは私たちを自分の体から遠ざけてきた。私たちは、自分が嗅いでいるものや味わっているものに注意を払う能力を失ってきた。その代わり、スマートフォンやコンピューターに心を奪われている。通りの先で起こっていることよりもサイバースペースで起こっていることのほうにもっと関心を払う。スイスにいるいとこと話すのは、かつてないほど簡単になったが、朝の食卓で配偶者と話すのは難しくなった。彼は私ではなくスマートフォンを絶えず見ているからだ。
スマホに夢中になっている時点で、自分の体や今起こっていることに集中できなくなっているというのはわかりきった話ではあるのだが、影響の範囲は自分だけに収まらない。
最近の研究は、誰かとの会話時にスマホを使用すると会話の質を下げるという結果だけではなく、そもそもテーブルの上に置いてあるだけでも会話の質が下がることもわかっている。こういったスマホのネガティブな側面の研究は枚挙に暇がない。
旧約聖書の創世記には、バベルの塔に関するエピソードがある。神が当時の人間たちの共通の言語を話せなくした結果、人間は世界の各地へ散らばっていったというエピソードだ。
違う言語を話すようになった人間たちは各地で新しい生活をスタートさせただろうが、何の不自由もない同じ言語を話すにも関わらず、目の前の人間とコミュニケーションを取るのがここまで難しくなったのは歴史上初めてではないかと思う。
結局、スマホは使用者に大きな影響を与えるだけではなく、その周りの人にも大きな影響を及ぼす。
もはや、家族や恋人などがいてもお互いに話すことなくそれぞれがスクリーンの中の住人になっているという状況はどこのファミレスでも見られる光景だ。特に若い人たちの間では。
便利さに慣れてしまった結果、個人情報を売り渡すことに抵抗がなくなっていくように、ドーパミンに従うことに慣れてしまった結果、目の前の人よりもスクリーンの中の人を大切にすることに人類は少しずつではあるが確実に抵抗がなくなってきている。
何がスマートか
スマートフォンを使うことが果たしてスマートなのかわからなくなってきているこのネット社会に、早くから警鐘を鳴らす人物がいた。
トリスタン・ハリス。元Googleのプロダクトマネージャーだった彼は、上述のようなテクノロジーの不健全さを訴え続けてきた。”Time Well Spent” という彼の表現は、テクノロジーにハックされかけている我々の行くべき先はどこなのか、改めて考えさせてくれる。
そしてつい数日前。時代は彼に追いついた。
米TIME紙の”2021 TIME100 NEXT”(次世代の100人)にトリスタン・ハリスは選ばれたのだ。非常に喜ばしいことだ。(4)
個人的にも、スマホを辞めたいと思い続けてもう何年も経つ。プライベートや仕事に関して、大切な人と連絡を取るために今は仕方なく保持はしているが、来年にはそのあたりをうまく調整してガラケーに変えるつもりでいる。
そのためにも今一度スマホを始めとしたネット環境に関して、自戒の念を込めた備忘録として、今回は書き残すことにした。
テクノロジーに支配されるということが、いわゆるターミネーター的なSFのような形ではなく、今のような形で訪れるとは20世紀のSF作家には見抜けなかったことだろう。
まさか、支配されているのに自覚さえできない人もいるとは、一体どんなディストピアだろうかと彼らはびっくりするに違いない。
21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考 Kindle版
ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣 Kindle版
参考・引用
(1)https://www.nytimes.com/2021/01/13/technology/telegram-signal-apps-big-tech.html
(2)ユヴァル・ノア・ハラリ『21 Lessons –21世紀の人類のための21の思考』河出書房新社、2019年
(3)ジェームズ・クリアー『ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣』パンローリング株式会社、2019年
(4)https://time.com/collection/time100-next-2021/
コメントを残す