私の大好きな領域であるギブすることに関して、今一度『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』を読んで悟ったことが多かったので複数回に分けて備忘録的に残したい。
この本、とても面白いのは間違い無いのだが、構成が少し変わっている。筆者が学者なので論文調のシンプルな要約や結論があって、具体例がそれを補強するかのように並べてあるかというと、全然そうではない。
具体例はものすごく豊富なのだが、その一つ一つの例から出た結論が筆者の言いたいことかと思いきや、次の事例で先の事例の正しさをすぐにひっくり返してしまい、新たな結論らしきものが代わる代わる飛び出してくる。要点を整理しにくいが、ストーリーのような作りになっているのだ。
読みながら思い出したのはアメリカンドラマのプリズンブレイクだ。この人が黒幕だと思ったら、次の話ではまた違う人物が新たな黒幕として現れ、今まで登場した人物が次々にフェードアウトしていく。高速展開待ったなし。というわけでまとめがいがあるし、考察のしがいがある。
基本的な構成として、3タイプが登場する。
ギバー は自分よりが受けるよりも相手に多く与えようとする人。本書によると、自分の間違いを認める能力が高い、自分の主張を押し通すのが苦手、地位や名誉に対する関心が比較的弱いなどの傾向があるらしい。
テイカーは相手に与えるよりも自分が多く受けようとする人。本書によると、自分の非を認めたり、意見を撤回するのが苦手、自分の主張を押し通すのが得意、地位や名誉への野心が強く、プライドが高いといった傾向があるらしい。
マッチャーは相手に合わせてバランスを取る人。等価交換、公平を重視する。
夫婦に見るGIVEの重要性
熱烈なギバー推しの自分からすると、ギバーになることは、大金を得ることよりもシンプルに幸せになる道だと思う。例えば夫婦関係について考えてみる。夫婦の組み合わせを、シンプルに「テイカー×テイカー」「テイカー×マッチャー」「マッチャー×マッチャー」「マッチャー×ギバー」「ギバー×ギバー」の6パターンの組み合わせで考えてみよう。
皆さんはどの組み合わせなら、2人とも幸せを感じられると思うだろうか?私は「ギバー×ギバー」以外にあまり幸せそうな例が見出せない…。強いて言えば、「ギバー×マッチャー」でマッチャーがギバーの影響を強く受けるのであればそれもかろうじて…といったところか。いずれにせよ、ギバーがいないと大変そうに見える。
おっと。そもそもテイカーと結婚したがる人なんているのかという疑問を抱く人もいるだろう。しかし、考えてみて欲しい。良いやつだと思ってたら裏切られた経験はないだろうか?テイカーは大概の場合テイカーらしくやってこない。一見相手のためになることをやっていると思ったら、実は自分の利益のためだったということもある。結婚して態度が豹変したという話も聞いたことがあるはずだ。
さて、「マッチャー×マッチャー」はいかにもお互い公平で良いのではないかと思う人もいるだろう。しかし、夫婦関係において公平かどうかは数値ではっきり表示できるものではない。そうなると、お互いの公平不公平の感覚に差ができてくるものだ。
それに関して、心理学者のマイケル・ロスとフィオーレ・シコリーが行った実験が面白い。恋愛や夫婦の関係で、夕食の準備からデートのプランニングまで、あらゆる関係の維持に必要な努力に関して、あなたがしているのは何パーセントかを問う実験だ。
当然ながら、45%と55%のようにそれぞれが答え、2人合わせて100%になれば正常だ。だが実際は、カップルの4組に3組は100%をかなり超えるとのこと。要するに、人間は自分の貢献度を過大評価する。そう考えると、「マッチャー×マッチャー」が健全に成り立つかも疑問だ。
そうを考えると、「私はこんなに頑張ってるのに」「相手が何もしてくれない」などの夫婦関係でお決まりの気持ちになるのはある意味当然かもしれない。
ギバーの意味と歴史的台頭
夫婦関係に例をとったが、あらゆる関係で自分がギバーになることの意味は理解できると思う。極端な話、ギバーの割合が増えれば増えるほど、世界は平和になると思う。逆にどんなに法整備が進み、国際条約がまとめられても、テイカーが多い限りは環境問題が解決するとは思えない。彼らは、自分の利益になるものを見つけたら、倫理的に問題でも上手く抜け穴を見つけるだろう。
もちろん法整備や仕組み化が意味ないと言いたいわけではない。それも必要だが、人をギバーに教育する方が本質だと思うだけだ。
それを担うのはなんでも良い。宗教にそれが可能ならやるべきだし、難しければ科学がそれをやれば良い。人間の自己中心性をなくすプロダクトを開発する研究所や会社ができれば人類レベルでニーズがあると私は考えている。
と言うと、性悪性を信じる人たちから反感を買いそうだ。しかし、客観的に歴史を考えて欲しい。人類はテイカーの多い時代からギバーの多い時代に明らかに移行していると思う。昔になればなるほど、奪うしかない時代だった。生存のためにそれ以外の選択肢はなかった。
しかし、人類は20世紀に入って、平等や人権、自由や人類愛にあまりにも大きく傾き、戦勝国は植民地を自立させ始めた。人類レベルでギブという価値観がここまで重要視されていた時代が今まであったのだろうか。そして21世紀はまだ20年しか経っていないとは言え、今のところは人類歴史上一番平和な世紀と言っても誰も反論出来ないだろう。人類はギブに寄ってきているように思う。
話が壮大になってしまったが、ギバーという定義は実はわかりやすいようで複雑だ。その辺りがギバーを生み出す障害にもなっていると思う。次回はそこに触れたい。
GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代 三笠書房 電子書籍 Kindle版
参考・引用
アダム・グラント『GIVE &TAKE 「与える人」こそ成功する時代』三笠書房、2014年
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