アメリカの人種差別について思うこと

アメリカが人種差別問題で揺れている。人種差別というのはとてもセンシティブな問題だ。

日本の多くの人は、なぜアメリカでは今になっても人種差別が残り続けているのか不思議に思うのではないかと思う。

そこで、長くはないがアメリカに住み、様々な人から話を見聞きした立場として、日本ではわかりにくい人種差別の背景について自論をまとめてみたい。

結論として考えているのは、人種差別が起こる背景は日本人にとっても理解できない話ではないということだ。もちろん人種差別を肯定する意図は全くない。

アメリカの田舎に住む白人たち

先日アメリカで仲良くなったFacebookの友人が人種差別に対する率直な投稿をして反響を呼んでいた。

その友人は白人で、アメリカ中西部の田舎で生まれ育ち、周囲のほとんどが白人という文化圏で育ってきた。

アメリカは複数の人種が混ざり合うサラダボウルと学校では教えられるが、実際にはサラダの具材のように混ざり合って過ごしているわけでは全くない。

ニューヨークからロサンゼルスまで様々なところを車で旅したが、基本的に黒人の割合がある程度いるのは「都市部」か「南東部」だ。同様にヒスパニック系は「都市部」と「南西部」のイメージで、それ以外の田舎には白人が圧倒的に多い。

つまり実際は、南部や都市部を除けば、ほとんど白人しかいない田舎がアメリカには多く、先ほど紹介した友人もその地域で生まれ育った白人だ。

そんな彼のFacebookでの投稿を要約すると大体こういう内容だ。

「田舎の白人地域で育ってきたから、人種差別は自然なもので、差別ではないというような教育を受けてきた。ただ、私の家族の中にもその考えに反対する人はいて、私も昔から受けてきた教育は間違っていたと思い始めた。そして様々な人の意見に耳を傾け、学ぼうと努力してきたけど、残念ながら十分ではない。私は自分を恥ずかしく思っている。もっと聞き、もっと学び、もっと理解しなければいけない。何度も自分に言い聞かせなければいけないのだ。」

この投稿からわかるのは、人種差別というのはものすごく潜在的に刷り込まれた感覚だということだ。

この友人はアメリカにおいて日本人である私にもとても友好的に接してくれ、日本のアーティストが好きでそのことについて熱く語り、最後にはこちらのビジネスの手伝いをしてくれた。日本に帰国してからも、何度か連絡をくれる度にまた会いたいと言ってくれたほどだ。

つまり、差別的な言動が見れらるような人では全くなかった。紹介した投稿にも、率直に自分を反省する彼の思いに共感し、とても好意的な白人たちのコメントが並んだ。

彼らにとっての人種差別とは、小学生がやるいじめのような露骨なものではなく、また悪意やはっきりとした自覚があるようなものではないのだ。当たり前のように組み込まれているシステムの一部という感覚に近いかもしれない。

そんなことがあり得るのかと思うかもしれない。しかし、私は率直に言ってあり得ると思う。

日本人の歴史と階級社会

日本は歴史的に「階級」という世界観をずっと大切に保持してきた国だ。

例えば、人類文化学者のルース・ベネディクトによると、日本は7世紀から8世紀に中国の文明に学び多くの慣行を取り入れた。(1)

しかし、当時身分制度のなかった中国式の社会制度を根付かせることはできなかったそうだ。例えば、日本が借用した官職は本来中国では科挙に合格した行政官に与えられていたが、日本では世襲貴族や封建領主のものとなった。身分制度に吸収されたわけである。

別の時代を見てみよう。士農工商の身分が明確だった江戸時代には百姓たちによる多くの一揆が起こった。一揆の中には嘆願書を領主や幕府に差し出すという厳密なプロセスでおこなわれたものもあったそうで、幕府はその申し立てに対し、半数ほどは百姓に有利な採決を下したという。

興味深いのはその後だ。例え百姓に有利な結果になったとしても、一揆の指導者は死罪になった。理由は主君に服従するという大切な決まりに背いたからだという。そして、それに対しては百姓側も仕方のないこととして受け入れていたそうだ。

つまり、どんなに正当な異議申し立てをしたとしても、身分に相応しくない行動をしたことは殺されても仕方がないと納得できるほどに、階級による違いを誰もが受け入れていたということになる。

第二次大戦時には、「自由と平等」に重きをおいたアメリカ人の価値観と「上下関係と階層構造」に重きをおいた日本人の価値観はあまりにも違いすぎ、相互理解がとても難しかったようだ。

日本と人種差別

先に述べた点を踏まえると、人種差別と日本の伝統的な価値観の相性はとても良いと私は考えている。そもそも階級を自然に受け入れてきた歴史のある日本人にとって、自覚のない差別は無関係ではないという話だ。

たまたま人種的に単一の国であるだけで、例えばこの国に東南アジア人やアフリカ人が大量に移民として住むようになってきたら、彼らに対し差別的な意識なく完全に平等に扱うだろうか?そういう政治や社会制度になるだろうか?

私はそうでない日本人が多いと正直思っている。それならば、今のアメリカの状況は明日の日本かもしれない。

これから日本に大勢の移民が来るのであるとしても、元々住んでいた人種としての日本人が主導権を握るのは当たり前だと思うのなら、それはアメリカの白人だってそう考えている。彼らだってアメリカの建国精神の元に大国を築き、世界を引っ張ってきたのは白人だったと答えるだろう。

また、日本人として「ガイジン」意識があるのであれば、メキシコ国境に壁を作ると発言したトランプ大統領を非難することも、移民を制限した挙句、EUから脱退するイギリスを非難することも出来ないはずだ。

私の出会ってきた感覚としては、アメリカ人とフランス人は自分の国がナンバーワンだと信じて疑わず、かつそれを表に出す人が多く、イギリス人や日本人はそう思っているが表には出さない人が多いように思う。結局どこの国にも差別意識はある。

イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリが指摘しているように、第二次大戦以後の自由主義を広めることが正義という世界的な時代の流れの中で、自由主義というセットメニューの中にくっついてきた移民の自由化という内容は、最近ではもはや好まれなくなっている。(2)

人種差別という人類の難題

別に日本人も差別していると声高に叫びたいわけでは全くない。日本人もアメリカやヨーロッパに行けば人種差別の被害者になり得ることを自覚するだろう。残念なことに。

私が言いたいのは、結局人種差別の意識は世界中に深く根付いており、私たち一人一人の心の中に巣食っているということだ。

もし根本的な解決を見ようとするのであれば、異なる人種間で結婚するなどして、人種の概念自体を壊していくレベルのアプローチしか私には想像できない。

参考・引用
(1)ルース・ベネディクト『菊と刀』光文社、2008年
(2)ユヴァル・ノア・ハラリ『21 Lessons –21世紀の人類のための21の思考』河出書房新社、2019年

アメリカの人種差別について思うこと②

2020年6月10日

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら