アメリカの人種差別について思うこと②

前回の記事を書いてから、また人種差別の現状と本質について考えたくなり、アメリカ人の友人に連絡してみた。彼は、ブロンドと茶髪の間のような髪に、色素の薄い瞳を持ったアメリカ在住の白人だ。

私は、アメリカで考える平等とは何なのか、以前から思っていたことをぶつけてみた。

アメリカの大学と人種

アメリカのハーバード大学などでは、受け入れる新入生をに対し、人種の比率を意識して決めている。結果として、成績の良かったある白人が入学できず、成績的には劣った黒人が入学するような現象が起こるらしい。同じ人種の中で上位に入ればいいからだ。

これが人種に対する平等の配慮だと聞いていたのだが、日本人である私にはあまりわからなかった。人種に関係なく上位から合格されるのが本当の意味での平等うだと直感的に思ってしまうからだ。

例えば、サッカーのワールドカップを考えよう。本大会に出場するためには大陸などのエリアごとに予選が行われ、アジアには大体2、3枠が与えられており、出場権をかけて各国が凌ぎを削る。

アジアの枠は数枠しかないが、決して少なくはない。むしろ、南米やヨーロッパのように強豪国が固まっている地域は本当に大変だ。こうした地域では、周りのレベルが高すぎるが故に本大会に参加できない強豪国というのが必ずと言っていいほど存在する。

そしてそういったチームは、誰がどう見てもアジアの枠を勝ち取ったチームよりも強いのだ。実力的にはワールドカップは平等は選出だとは思わない。

全世界を巻き込んだエンターテイメントだからその選出方式でいいのであって、もし単純に世界で1番サッカーが強い国を決めるのであれば、アジアの枠はなくなる可能性が高いだろう。

もしそれで日本がW杯に参加できないとしても、それは仕方がないと思う。弱い以上は強くなるしかないし、国や地域に関係なく実力順に選ばれるべきというのが私の平等に対する感覚だ。

同様に、成績順に上から順番に生徒を合格させるのが真の平等じゃないのかというアメリカの大学制度に対する疑問をぶつけてみた。

彼の返答は興味深いものだった。

そういった議論はもちろんアメリカにもあるが、究極的には大学の目的を何とするのかという観点、また学生としての成功をどういう物差しで測るのかという観点が重要になると考えているそうだ。

もちろんアカデミックな意味で優秀な学生の輩出というのが大学の目的であれば、私のワールドカップの例えのように最も成績のいい人から合格させるべきで、そう思う人はたくさんいるようだ。

しかし、別の観点も存在する。

奴隷制度や人種的差別、抑圧などの歴史の結果、残念ながら黒人やヒスパニック系のコミュニティの方が相対的に貧しく、良い教育を受けられる環境やリソースがそもそも整っていない。

既存の格差を是正し、誰もが教育を受ける機会を増やすことがより良い社会の実現だということに異論はあまりないだろう。だとするならば、大学の使命がただアカデミックなエリートを排出するということ以上に、より良い社会構築に重きを置いた場合は、人種に配慮した学生の選定をするということに重要な意味がある。

また、違う観点では、多様性を重視する方が社会的に健全だという見方もある。これは確かに外資系の企業のチームビルディングなどでも度々語られるように思う。

例えば、学生を人種に配慮して選定しなければ、ロースクールの学生は98%が白人になるという。そうなると、弁護士や判事が白人だらけになり、黒人に対するポジティブな影響力が弱まる恐れがあると彼は説明する。

結局は、最初に述べたように「大学の使命や目的」を何に置くかということが、そのシステムに大きな影響を与える。議論のポイントはそこだと彼はまとめた。

染みついた差別意識をどう克服するか

さて、彼の説明は非常に論理的な内容なのだが、やはり前提となっている事象がある。

弁護士や判事が白人だらけになって困るのは、「白人が潜在的に黒人に対して差別意識を持つ」という共通認識があるときだけだ。

例えば、弁護士や判事の98%がB型の血液型を持っていたとする。あなたがB型以外の血液型だったとして、差別される不安を抱えるだろうか?

ほとんどの人はそんなことは気にしないだろう。それは、血液型による差別意識が潜在的にあまりないからに他ならない。

つまり、問題の本質はある職業が白人ばかりになることではなくて、そうなった場合に差別が起こるという共通認識の方であり、潜在意識の方なのだ。

アメリカでは、住む場所やコミュニティが、異なる人種でかなり分かれていると前回紹介した。

人気のアメリカンドラマ、プリズンブレイクでは、刑務所内における白人と黒人の囚人のコミュニティがはっきりと分かれており、どちらかと近づくということは、もう一方を敵に回すという描写がされている。

ドラマの中で現実的にはタブーとなるような差別を表現しているのは割と普通で、人々の潜在意識は実はこんなものなのかもしれない。

さて、これはもちろんアメリカだけで起こっていることではない。

ヨーロッパの国々は増え続けるイスラム系入植者にどう対応するのだろうか?寛容なドイツはどこかのタイミングでイギリスのように規制に走るのか。世界中で爆発的に増えつつも現地の言葉を話そうとはしない中華系移民を世界はどう見るのか。

考えれば考えるほど難しい。

アメリカの人種差別について思うこと

2020年6月5日

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら