なぜ話を聞くことに価値を置くのは難しいのか

以前から、話を聞く力が上がるだけで人生が変わるとか、人間関係が劇的に良好になるとかその手の話を相当してきているが、その焦点としては「話を聞くことの重要性や方法論」だった。

ただ、よく考えてみると、例えその重要性を論理的に伝えることができても、そもそも前提として、構造的に話を聞くことに意識や関心が向かない何かがあるのではないかという気がする。

例えば、誰かと話をするときに相手を話を聞いて理解して受け入れるためにコミュニケーションを取ろうとする人はほとんどいない。

どちらかと言えば、自分が理解されるためであり、自分のことを認めてもらうため、あるいは単なる情報伝達のためだったりもする。

話をよく聞くというのは、前提としてその背後の動機に相手を優先する気持ちがないと成り立ちにくい。

しかし、現実は逆になりやすい。コミュニケーションに期待するのは自分の承認欲求を満たすことだったり、不満を発散することだったり、兎にも角にも背後の動機は自分優先なことが多いのではないだろうか。

人が育つ環境を考得てみよう。学校ではうまく話ができる人が話の中で中心になり、面白い話をして場を盛り上げられるような人が人気者になる。じっくり話を聞けるとかそういう問題ではない。自分がどう話しどう伝わるかに夢中だ。

大人として社会人になれば、論理性を伴う責任ある発言が期待され、提案力や説明力など、とにかく話す能力こそが重要だと判断する機会に溢れている。逆に、一部の職業を除けば、話をじっくり聞くことはビジネスにおいて基本的には求められない。

そう考えると、やはり自分が認められ、評価を得るために、あるいは理解してもらうために、聞くよりも圧倒的に話すことに意識が向きやすい構造的な要因があると思える。

その結果、音としての情報を聴覚という機能で受信はしているが、本質的には相手にはそこまで関心がないということが起こる。聞いてるけど聞いていないということだ。

相手軸でコミュニケーションをするのは、自分に気持ちの余裕があったり、コミュニケーションの相手が自分にとって自分以上に優先したいと思う相手で相手でない限りは簡単ではない。

しかし、実際のところ誰も彼も自分のことでいっぱいいっぱいに見える。そうなると、コミュニケーションは多くても、本当に自分の話を聞いてくれる人はいないという悩みを心の奥底に抱えている人は多いのかもしれない。

傾聴難民たち

しかし中には、話をよく聞いてもらわなくてもそこまで気にしない人もいる。

カフェで近くに座っている人の話し声を聞いていると、お互い自分の話をするのに夢中で、相手の話に全然関心を持っていない二人組に出会うことがある。

会話とキャッチボールに例えるとしたら、お互いがピッチャーのような感じで、相手のボールがどこに投げられようがキャッチする気配はなく、自分が持っているボールを次にどこに投げるかに夢中だ。

自分の話さえできれば相手が多少聞いていなくても全く気にしないという鈍感さをお互いが兼ね備えていれば、それはそれで関係性としては成り立っている。

しかし、HSPなら分かりやすいが、繊細な人は相手が自分の話を聞いているかどうかくらいすぐにわかる。

そういう場合には、相手が話を聞かない人だと一度判断したら、もう2度と心を開かないことも珍しくない。鈍感な方からすれば、そこまでショックを受けたならちゃんと言って欲しいと思うかもしれないが、繊細な感覚を伝えるのは難しいのだ。

どうせ聞いてもらえないし分かってもらえないから言わない。相手に聞く力が望めないなら妥当な判断だ。友達間でも夫婦間でも親子間でも、聞いてほしいけど聞いてくれる人がいない傾聴難民が溢れているのだろうなーと思う。

人類は言葉でコミュニケーションを取り始めてからずっと聞くという技術を継承してきた。能力として音や言語を聞き取ること自体は当たり前のようにできるのだ。ある意味ではそうであるが故に、自分が聞いているけど聞いていないことに気づくことが1番難しいのかもしれない。

往々にして、自分の欠点や障害なども自覚するのが1番難しい。どういう社会システムができれば、どういう教育ができれば、傾聴難民が減るのだろうか。

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ABOUTこの記事をかいた人

IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら