なぜギバーは生きづらいのか

これまで何度もギバー(与える人)という生き方の素晴らしさについて書いてきたが、あまり触れられていない重要な観点を今更ながらに考えようと思う。

それは、「ギブすることに対する認識の違い」だ。国や地域によってギブすることに対する解釈というのは実は大きく異なる。

ギブすることに好意的な認識のある場所でギブすることは、行動のハードルが低く、周りからも好意的に受け入れられやすい。

逆に、いかに周りから奪うかとか、周りを利用するかという人が多い場所では、ギブする人には何か裏があると怪しい目で見られやすいのは間違いないだろう。

周りの環境によって、ギバーがギバーらしく振る舞えるかどうかは大きく変わる。その辺りを考慮して考えなければ、ギバーとして生きるのはなぜこんなにも難しいのだろうかという壁にぶつかりかねない。

ギバーとして生きやすいアメリカ

『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』の中で、人をギバー(与える人)、マッチャー(バランスを取る人)、テイカー(奪う人)という三分類で説明したのは心理学者のアダム・グラント。(1)

ギバーの素晴らしさを説明した彼の祖国はアメリカだ。

私はアメリカに住んでいた時期があるが、アメリカという国はギバーにとって、非常に生きやすい国、言い換えればギバー理解度が高い国だと思う。

ボランティア意識が高く、若者もボランティア活動に積極的に参加する。資産家は慈善事業に力を入れるし、一般的な市民も街に多くいるホームレスに、寄付や食べ物を渡すことは珍しくない。

私が見知らぬ土地で困っているときに、勉強中の日本語で話しかけて何とか助けようとしてくれた人もいたし、マクドナルドで私の着ていた服が気に入ったからと初対面にも関わらずご馳走してくれるような人もいた。

総じて、見返りを求めないギブをすることに肯定的な文化があり、実際にそういった人が多いというのが私のアメリカに対する認識だ。

もちろん、アメリカで見たのは良い側面だけではないし、手放しにアメリカが最高だという話をしたいわけではない。

ただ、ギバーが非常に生きやすく評価されやすい国だというのは間違いない。

一応経験だけではなくデータにも触れておこう。

内閣府による、『令和元年版 子供・若者白書(2018実施)』によると、日本、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンの13〜29歳の若者に対する「ボランティアに興味がありますか」という質問に対して、

「ある」と最も答えたのが65.4%のアメリカ、「ない」と最も答えなかったのも23.5%でアメリカだった。この手のデータは、どれを見てもアメリカが世界トップ水準で無償の奉仕に肯定的だという結果が出るのだ。(2)

日本の貸し借りの文化

ちなみに、上記の質問に対して、日本は「ある」と答えたのが33.3%と7カ国最低であり、「ない」と答えたのが48.1%と7カ国で最高の数値となっている。

これは何も不思議なことではなく、この手のデータでは、日本は大体中国などと並んでアジア最低水準に収まる。

日本は東日本大震災のような自然災害では秩序的な助け合いが起こるが、そういう特殊な状況でなければ基本的には自己責任論が強い。ホームレスを助けようとする日本人は稀なのだ。

それが良いとか悪いとかそういう話ではなく、日本の文化とはそういうものだと思う。

さて、それならば日本の文化はギバー理解度が高いと言えるのだろうか。それを考える上で、日本の文化に対する鋭い考察をしているアメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクトの指摘を参考にしたい。

ルース・ベネディクトが戦中の日本研究の結果として執筆した『菊と刀』は有名だが、今読んでも日本を再発見する意味で有意義な考察が多いことに驚かされる。

彼女はギブすることに関して、日本とアメリカに明確な違いがあることを見抜いていた。以下に引用する。

成り行きで氷水をおごってもらうこと、父親が母親のいない子どもたちのために長年にわたって尽くすこと、ハチのように忠実な犬が主人のために尽くすこと──アメリカ人は日本人と異なって、これらの事柄に貸し借りの観念を当てはめることはない。愛や親切、寛大さなどは、無償であればあるほどありがたいものだ。わたしたちはそう感じる。ところが日本では、それらのものはヒモ付きにならないわけにはいかない。一挙手一投足に貸し借りの勘定が付いて回るのである。日本語には、次のような言い回しがある。「恩を受けるには生まれつき(途方もなく)のん気であることが必要だ」。(3)

ベネディクトは、アメリカ人にとって愛や親切は無償であればあるほど良いものだと認識しているのに対して、日本人は愛や親切という概念をどちらかというと貸し借りで捉えていることを発見した。

それは、「恩を着せる」「貸しを作る」などの表現にもよく現れている。つまり、ギブされたものは返さなければいけないという等価交換の世界観があるのだ。

思い出すエピソードがある。

知り合いの子供が1歳になったとき、とても高価な服をプレゼントされたという。だが、それを見た知り合いのお母さん、つまりおばあちゃんはとても不機嫌になった。曰く「こんなに高いものをもらったら返すのが大変だから安いもので良いのに」とのこと。

これは非常に日本的なエピソードで、もらったものと同じ価値のものを自分の感情は抜きにして返さなければならないという貸し借りのような勘定があるということを意味している。

もしアメリカ人にこのエピソードを伝えても何一つ意味がわからないだろう。彼らは首を捻る。「高価なものをもらったこと、それだけ大切に思ってもらえていることがなぜ嬉しくないのか理解できない」

以前、人からの好意に対してありがとうではなく、すみませんと言ってしまう人について記事を書いたことがある。

アメリカで人からの好意に、”I’m sorry.“ や”Excuse me.“ で答えたら意味不明だが、これまでと全く同じ観点で考えるとその謎が解ける。

つまり、人からの好意を受けたら必ず返さなければならないが、その場ですぐに返せるものがないとすれば、出てくる言葉が「ありがとう」ではなく「すみません」でも不思議ではないからだ。

日本の文化とギバーの相性

さて、それならば、この日本の貸し借りの文化とギバーとの相性はどうだろうか。

結論となるが、かなり悪いと言わざるを得ない。

日本の文化的背景を考慮すると、誰かに対してギブすることは、相手に「いつか返さなければならない」という義務感を生じさせることにつながる可能性がある。これは相手にとって負担になる。

そういう意味で、あまり何でもギブしてこないで欲しいという感覚を日本人は歴史的に持っていたのだ。ベネディクトの考察が80年前とは言え、現代にもその感覚は見受けられる。

また、それでも無償でいいからというアメリカ的なギブをしようとすると、「無償だなんて何か裏があるのではないか」という発想になりやすい。日本には「ただより高いものはない」という感覚を持つ人が多い。

この貸し借り感覚を整理すると、返済が返ってこないボランティアに日本人が前向きになれないのも不思議ではない。

さて、まとめに入る。

以上のように、日本の歴史的な文化はギバーを手放しで歓迎、評価しにくい。

日本では通じないからギバーになるなとは全く思わない。しかし、そういう文化的背景をよく理解して上で、ギバーとしての振る舞いが受け入れられる人を探すなど、自分からギバーとして生きやすい環境を整える必要があるというのが私の考えだ。

GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代 三笠書房 電子書籍 Kindle版

菊と刀 (光文社古典新訳文庫) Kindle版

参考・引用
(1)アダム・グラント『GIVE &TAKE 「与える人」こそ成功する時代』三笠書房、2014年
(2)令和元年版 子供・若者白書https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/r01honpen/pdf/b1_00toku1_01.pdf
(3)ルース・ベネディクト『菊と刀』光文社、2008年

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IQ155オーバーだが、自信があるのはEQ(心の知能指数)の方で、繊細な感受性の持ち主。 大学時代に週末はあらゆる大学生と人生を語り合うことに費やした結果、人を見下していた尖り切った人生から、人の感情を共感し理解する相談役の人生へとコペルニクス的転回を果たす。 これからの時代は感情の時代になると確信しており、感情のあり方が幸せに直結するとの考えから、複雑な感情の流れを論理的に整理することに挑戦している。 モットーは Make the invisible visible 詳しい自己紹介はこちら