感情が中心になる
当ブログで感情について細かく扱う理由をまとめてお話ししようと思います。結論から言えば、コミュニケーションの一番中心に感情があり、良質なコミュニケーションは感情の理解なしにありえないと考えているからです。今回はその参考になる事例を2つ紹介します。
まず前提として、私はこれからのAI化時代の先に感情の時代が来ると考えており、この辺りは以下の記事を参考にしてくださると助かります。
感情と論理の大きなギャップ
アメリカの作家、マルコム・グラッドウェルの『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』の中に、恋愛で相手に求めるものに関する面白い実験が紹介されています。スピードデートという、短時間での合コンの前後に未来のパートナーに何を求めるかというアンケートを行うというものです。
そのスピードデートの中で、お互いが一目惚れして気に入ったとある男女がいました。女性の方の事前のアンケートを見ると、パートナーは知的で誠実な人が良いと答えていましたが、実際一目惚れした男性は知的でも誠実でもなく、面白い人だったのです。(1)
もちろんその女性の中になんとなく理想はあるのでしょうが、好きという感情、好きになる理由というのはそもそも論理的に説明できるものではなく、本人が嘘をついているつもりはなくても、感情と論理にはどうしてもギャップができてしまいます。
「私のどういうところが好き?」
皆さんにも同じような体験がいくらでもあるはずです。男性であれば、パートナーの女性から聞かれる定番の質問は「私のどういうところが好き?」ですが、この質問に答えるのはなかなか難しい。好きになった理由を論理的に説明しようとすると、どうしても後付けのようなしっくりこない感じになってしまうのです。一番正確なのは、好きになったから好きという感覚なのでしょうが、もちろんそれでは質問の答えとしては意味をなしていません。
同様に、自分の気持ちを手紙や日記に書こうとすると、うまく文章になりません。なんか自分の本当の気持ちとは違う気がするというモヤモヤがあってスッキリしない。
感情を論理で誤魔化す
もちろんこういった現象は、好きという感情だけで起こるものではありません。仕事では、自分の選択や行動に理由を求められる場面があります。「なぜ?」「理由を教えて欲しい」と問われた時に、咄嗟に論理的に説明しようとするのですが、実は判断は感覚的なもので「なんとなくです」としか言いようがない時がある。しかしそんなことは言えないので論理的な判断だと伝えるために最もらしい理由を何とか自分も納得できる範囲で捻り出す。よくあるコミュニケーションだと思います。
つまり、自分たちは日常的に、悪気なく無意識のうちに自分の感情や感覚を言葉を使って誤魔化している。そうなると、相手の発言を言語という論理体系で解釈しても、その奥にある感情や真意に辿り着けないということになります。
感情の機微という味わい
そういうわけで、冒頭の話に戻りますが、感情について考えるのがとても大切だと思うのです。言葉が感情を置き去りにする以上、言葉だけを捉える論理的な能力がいかに高くても良質なコミュニケーションになり得ません。
言葉の限界を認め、論理性だけではなく、お互いが相手の気持ちや感情にフォーカスを当てながら話せるととてもストレスがなく心地の良いコミュニケーションになります。そういった、AI化が進んでも難しそうな感情の細やかさや機微を味わうのがこれからの人間らしさにもなってくるのではないでしょうか。
第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい 単行本 – 2006/2/23
参考・引用
(1)マルコム・グラッドウェル『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』光文社、2006年
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