一方的な会話だったなと思う事がある。
片方がひたすら話し続け、もう片方は自分の言いたいことを言えずに終わった時だ。
こういった状況を回避しようにも、状況を本人たちが客観的に認識するのは意外に難しいものだ。
しかし、それを可視化する面白い概念がある。
「会話の双方向率」という概念だ。
素敵な試みですが、これって「親子関係」や「恋愛(夫婦関係)」でも、可視化したら大変有意義な結果が出そう。
— Lio (@Liochan_hsp) January 11, 2021
例えば、教育的にはむしろ親が聞き手に回り、子供の方が話す方が良い気がするのですが、熱心な教育ママほど話しすぎて双方向率がひどいと予想。
残念すぎる話し合い
まず考えたいのは「会話になっていない状況」という我々の人生の負の遺産について。つまり、双方向率が著しく低い会話だ。
こんな経験はないだろうか。
上司との面談があり、こちらの意見に耳を傾けてくれるかと思いきや、表面だけで、後半はひたすら上司が話し続けていた。場合によってはこちらがカウンセリングしているような気持ちになった。
その日いい事があったので、親に話そうと思っていたら、親が話したいことをひたすら話し続けたため、こちらから話す気力がなくなり会話が終了した。
パートナーが日常的に不平不満や愚痴を言ってくるため、もはやこちらのことは何も言う気がしなくなってしまった。
世の中には「聞きたい人」よりも「話したい人」の方がかなり多いため、会話の双方向率はどうしても低くなりがちだ。
ここに、面白い研究がある。
アメリカの心理学者、ジェームズ・ペネベーガーは自分のことを話す意味に関して、ある実験を行った。(1)(2)
まず、互いに面識のない人を少人数のグループに分け、自分の興味ある話題に関して15分間話してもらう。そして15分後、自分がどのくらいそのグループを好きになったかを評価する。
結果はシンプルで、話せば話すほど好きになる。人間は基本的に話すことが好きである以上、これは普通の結果だ。
続いて、グループの人についてどれだけ理解したのかを評価してもらった。言うまでもなく、グループの人を理解しようとするならば彼らの話を聞くことが必要になる。つまり、自分が話さなければ話さないほどグループの人についてよく理解できるはずだ。
しかしペネベーガーは、実際の結果は全く逆であることを発見した。
人は、自分が話せば話すほどグループの人について理解したと思うものなのだ。
私は上司からに対して本音をあまり言っていないのにあなたのことはよく知っているという態度で接された経験が豊富にある。そう、いつも私が聞き役に回って上司が話すからだ。
同じような経験を持つ人も多いだろう。
もしも、会話の双方向率が低くなってしまい、話しすぎた方が「自分ばかり話したので相手のことがわからなかった」とそのまま感じることができれば、次は相手の話を多く聞こうとという気持ちになり、双方向率は改善されていくと予想される。
しかし、この研究は全く逆のことを示している。
話しすぎた方が「相手のことがわかった」と感じるならば、双方向率は改善しにくいことだろう。
その結果、永遠の話し手と永遠の聞き手が誕生する。
会話の双方向率の測定
件の『データの見えざる手』において、筆者の矢野さんは、自身の体験を例に会話の双方向率の重要性を説明する。(3)
矢野さんの職場では、自分の会話の双方向率が相手ごとに数値で常に確認できるようになっていたが、ある一人の部下とは双方向率がいつも低かったという。
なんとか改善しようと思って会話の時に気をつけてみたが、一向に良くなる兆しがない。性格の違いなのかと思うこともあったようだ。
しかし、矢野さんが気づいたのは、部下の挑戦的な目標設定及び共有が自分自身とできていないということだった。それゆえにどうしても表面的な会話になってしまっていたのだ。
目標設定がうまくいってからは、案の定、双方向率が急上昇した。
このように「なんとなくコミュニケーションがうまくいっていない」という数値が可視化されると、原因を解明しやすくなる。
双方向になってなさそうな社会
「会話の双方向率」という概念のビジネス利用は素晴らしいと思うのだが、教育や恋愛への応用にもとても意味がある思う。
例えば、家庭教育。
発達心理学者のマーティン・ホフマンによると、子供たちは2歳から10歳になるまで、6〜9分に一度、親から行動を注意されるという。
つまり、1日に50回のしつけがあり、1年では1万5000回以上になる。
それらは残念ながら、親からの一方的なコミュニケーションになることがほとんどだと予測される。さて、親はその細かい注意に相当するくらい子供の話を聞くことができているだろうか?
簡単ではないだろう。会話の双方向率という数値を叩きつけられない限りは。
子供の教育の場合、子供の方が話し手に多く回る方が主体性や創造性、コミュニケーション力を育む上で重要になる。しかし、現実はそうなっていない気がしてならない。
ビジネスにせよ、教育にせよ、特に会話の双方向率が偏りやすいのは「階級や立場に差がある時」だと思われる。
上司や部下、先生と生徒などの立場的に対等でない関係の場合には、上の人が話し、下の人が聞くのが当然という雰囲気がいまだに残っている。
そうすると、双方向率はどうしても低くなってしまう。
求む、可視化。
「聞かれていない」の増加
さらに近年においては、会話の双方向率悪化に関して、非常にわかりやすい原因がある。
おそらくここ10年で「自分の話を聞かれていない」と感じている人は相当増えたはずだ。
犯人はおなじみスマートフォン。
自分が誰かに話している時に、相手がスマホを触りながら聞いていたり、相手のスマホの通知音が鳴って会話が一時中断する経験を持たない人は、もはやほとんどいないだろう。
20世紀に奴隷制度を撤廃した人類は、21世紀早々にドーパミンの奴隷になってしまい、目の前にいる人との会話すら時にはままならない惨状だ。
「聞かれていない」と感じると、当然自分は受け入れられていないと感じる。自分という存在を認めてもらうべく、余計に自分の話を聞いてもらおうとするが、これまたあまり受け入れらない。完全に負のループだ。
沈黙という美意識
双方向率を上げなければいけないという義務的な意識を持たせるよりも、「聞くこと」は神秘的で、価値のあることだと認識してもらうことは出来ないだろうか…。
聞くことを大切にする上で、欠かせないのが「沈黙」だ。
誰かとの会話中に、お互いが話し出そうとして言葉が重なってしまうことは誰にでも経験があると思う。私が気に入っているのは、その時に自分が沈黙することだ。
自分の言いたいことをとりあえず抑えて、相手に話させる。
相手は申し訳なさそうに話し出すこともあるが、「いいよ。あなたの話を聞きたい」という気持ちで先に話してもらうと、この人は自分の話に関心を持っているということが伝わる。
相手が話し終わった後、自分がさっき何を話したかったかすでに忘れていることもしばしばあるが、それはそれでいいのだ。
なぜなら、自分が話そうとしていたことが思い出せないのは、相手が話していることに集中していたからだ。それで相手の話を聞けたなら良しとする。
相手に先に話させておきながら、次に自分がしたい話のことを忘れないように覚えておこうとしたら、相手の話に入り込めない。
それでは沈黙を選んだ意味がない。
カウンセリングをやり始めた頃、一発で問題の本質をつき、悩みを解決できるようなアドバイスをすることが何よりも重要だと思っていた。
どのように何を伝えるかが全てだと思っていた。そのための引き出しやノウハウを求めた。例える力や論理的な伝え方こそかっこいいものだと。
しかし、自分がどれだけ的確だと思うアドバイスや解決策をすぐに提示してもうまくいかなかった。ことごとく失敗した。その時の相手の表情が一番それを表していた。
いつしか経験を積んで、私は沈黙という選択肢に出会った。
相手が悩んでいることを一通り話し終わったように思えるその瞬間。
「次は自分のターンだ。まさにこれだと思う意見をこれから話そう!」
まさにその瞬間に沈黙し続けるのだ。自分はこれを伝えたいとか、沈黙は気まずいとか、そういった思いを振り切って。
すると、沈黙の時間が多少あったとしても、相手は不思議とまた話し出すのだ。
私たちは本当に吐き出したい事情や気持ちを一回ですぐに説明する術を持たない。一旦話しても、さらに理解してほしい、まだ聞いてほしいと思い話し続ける。
また、まだうまく話しきれていないという段階で、アドバイスなどを受けてしまうと、「あまりまだ理解されていない」というもやもやが晴れなくなる。その状態でさらに話し続けられると、もう事情を説明する気がなくなってしまう。
だが、沈黙を続けると驚くような結果になる。「全部話す中で自分の中にあった答えが整理された」「初めから答えはわかってたけど、気持ちが追いつかなかったので聞いてもらえて救われた」というリアクションをもらう。
そう。アドバイスは必ずしも重要じゃなかった。
何よりも大切なのは、ただ沈黙して聞くこと。黙って聞くとことは、どんな有能なコンサルタントの説明よりも、相手の心をつかむことができる。
沈黙して相手の言葉やその背後の感情に心を傾ける。
その時、「結論」「効率」「目的」などに侵食された現代社会から、少し解放される。そんな気がする。
GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代 三笠書房 電子書籍 Kindle版
オープニングアップ: 秘密の告白と心身の健康 単行本(ソフトカバー) – 2000/9/11
文庫 データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則 Kindle版
参考・引用
(1)アダム・グラント『GIVE &TAKE 「与える人」こそ成功する時代』三笠書房、2014年
(2)ジェームズ・ペネベーガー『オープニングアップ:秘密の告白と心身の健康』北大路書房、2000年
(3)矢野和男『データの見えざる手:ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』草思社文庫、2018年
こんばんは~。
コミュニケーション……難しいですね。
率直に言って話すのは苦手ですし、
頭の回転も鈍いので、
(バウンダリーを超えられたことに
気づくのが遅いんです……)
理解に時間がかかる人間なのですが、
話している側より、
黙って耳を傾けている側の方が
いろいろと思考できるというか
考えることができるような気がします。
あと、私の周りにちらほらいるのが、
完璧主義傾向の人。
私はそこそこ自覚があるのですが、
まったくない人は、
相手に質問してパーフェクトな答が
返ってこないと急に不機嫌になります(苦笑)。
いや、こっちはあなたの期待に応える義務は
そもそもないんですよ……と思うのですが、
完璧主義傾向の人はそのことを
理解できないので、
普段も観察していると、
気分の浮き沈みがやたらと激しいです。
(自分の成功も他人の親切も100%
じゃないと気がすまないのね……)
話がズレましたが、
アドバイスもまた、難しいですよね。
それを採用するか否かはその人の自由な選択なのに、
あなたの言うとおりにしたら、
うまくいかなかった、と
人のせいにする人もいますから。
私はとてもじゃないですが、
毒親の聞き役にはなれません。
毒父の八つ当たりは
ほとんど聞き流しているのですが、
限度というものもあるので、
「私はあなたのサンドバッグじゃない。
なんでそんなに情緒不安定なの?
病院へ行く?」
と言ったら黙り込んでしまいました(苦笑)
時々思うのですが、HSPって、
本人でさえ気づいていない
相手の感情を読み取れる力?があるので、
発言すると、けっこうエグってしまいますよね……。
相手は毒親なので別段後悔はしていませんが。
長々と読んでくださってありがとうございました
衣吹さん、コメントありがとうございます!
完璧主義の人ですか…。その人たちはきっと「自分と他人は違う」というシンプルな事実がなかなか想定できないのでしょうね。「自分だったらこう対応するのに」というのが前提にあって、相手が自分の想定と違う行動を取った瞬間に不満が爆発してしまう。毒親問題も親子は血が繋がっているけど、違う人間であることを中々理解できずに押し付けてしまう等の悲劇が多いですよね。
衣吹さんも様々な人間関係で苦労されてるんですね。本当にお疲れ様です…