大学生の頃、他人がどういう人生を送ってきたのか世を徹して聞き続ける日々を経験して以降、人間観察大好きマンの私だが、先日久しぶりに面白い出会いがあった。
その人物と初対面で話し始めてほんの数分、彼が放った言葉は「世界平和に貢献したい。そのためだったら今の仕事を辞めてもいい」だった。この出会いは完全に当たりだとその場で確信した。理由を説明しよう。
満たされた人間
人を見るとき、その人が何に関心を持っているかという点に注目すると、基本的に自分の利害に関することがほとんどなのだ。98%以上がそうだと思ってもらって構わない。
例えば「いい人と結婚したい」「仕事がうまくいかない」「何か熱中できる趣味が欲しい」「もっと稼ぎたい」など、こういった関心事だ。
今連日のように政権批判が浴びせられているのも、今の政治的な判断が、コロナの情勢にあって、自分の経済状況や外出を必要とする趣味活動などに大きく関係していると考えているからに他ならない。
国レベルで考えれば、人口減少問題などは何年も前から「もう日本終わりじゃね」レベルの重大問題なのだが、個人の利害と感覚的に結びつきにくいため(実際は若い世代中心に大きく結びついているのだが)あまり関心を持たれない。そんなもんだ。
別に自分の直接の利害に関心があってはいけないわけではない。もちろんその人にとっては重要なことだし、誰しも自分のことで精一杯な事情があるのだ。
だが。
関心事が完全に自分の利害を飛び越えて、社会やら国やら世界への貢献を真っ先に考えているあまりにも稀な人間が存在する。
なぜそうなるのかというと、簡単に言えば「自分が既に幸せであり、自分だけが幸福であってはならない」という満たされた感覚を持っているからだ。
言い換えるならば、自分が愛情で満たされていて、自分という器(コップ)から既に水が溢れ出しているということになる。周りにある水が少ないコップを放っておけず、自分の水を分け与えたいフェーズに入っている。
表現としては簡単なのだが、このような人に出会うのはとても難しい。
考えてみて欲しい。社会的に成功しており、裕福であっても、自分のコップに水が溜まっていないことは多々ある。そういう人はもっと認められたいと飢え乾いており、他者のコップに水が入っているかなど気にしてはいない。
そんな政治家やそんな芸能人、そんな経営者を皆さんはたくさん知っているはずだ。
お金がある、社会的地位があるが故にコップから水が溢れているわけではないのだ。
コップの水が溢れているような人は、「いつも自分ばかり損している」というような不平不満や愚痴よりも、感謝などの前向きな気持ちで溢れているため、もしそういうレアな人を発見したら、近づいていい影響を受けるのをオススメする。
満たされている人は、建設的で、変なプライドがなく、ポジティブな感覚をもたらしてくれる。
ただし、そういう人から見て「この人は価値観が合う」と思ってもらえるハードルが高いことが、唯一にして最大の壁かもしれない。
コップの水が溢れている人の存在感をお分かりいただけただろうか。
水を注ぐ教育
しかもその人は、30代前半。リタイアした資産家が、そろそろ社会に何か還元したいと考えたわけではない。
そして、よくよく話を聞いてみると、元国連職員だった。
世界平和のためなら辞めてもいいと言っている今の仕事も外資系の経営者だ。
高学歴とか、社会的地位が高い人にはそれなりに出会ってきたが、こういう視野を持っている人は本当に久しぶりで、胸の高鳴りが止まらなかった。
改めて思うのは、経済成長や政治制度は確かに大事なのだが、いかにコップの水が溢れている個人を教育できるかという部分が重要だとリマインドさせられる出来事だった。
その辺りの内容を、アイデンティティや話を聞く力などのカテゴリーでこれまで書いてはきたが、より刺さるアイデアを私自身も考えていきたい。
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