ビジネスにおけるセンスの重要性を鋭く説いた『「仕事ができる」とはどういうことか?』において、山口周さんがビジネスの2つのタイプを説明しているのだが、それが非常に興味深いので紹介したい。(1)
「アスリート型ビシネス」と「アート型ビジネス」という概念だ。
アスリート型ビジネスとは、数値化された結果を持って勝敗を競うタイプのビジネスだ。本書の表現をそのまま借りるのであれば、「オレの会社は時価総額が今いくらだ」「去年よりも業界の順位が3つ上がった」といった表現がよく用いられる。アスリートが「タイムをどれだけ縮めたぞ」という世界に似ている。
1990年以前には、各国で上位4、5社が生き残れたのがアスリート型ビジネスの世界観だったが、グローバルな時代になると世界で上位3、4社に入らなければ残れない流れになりつつあり、競争激化が進んでいる。
一方アート型のビジネスは例えば一部のファッション業界のように、時価総額が単純な勝ち負けではなく、ブランドそのものを売りとしているビジネスだ。こちらは、絵画や歌の世界のように、普遍的な上下が存在しないアートの世界に似ている。
本書では、その後の論理展開として日本ではアスリート型ビジネスがずっと優位だったという話に続くのだが、ここまで読んだところで気づいた。
これって、人間のアイデンティティにも当てはまる話ではないか、と。
アスリート型のアイデンティティとは
私はかねてから、人生で最も大事なものの一つはアイデンティティだと考えているが、残念ながらそのことが一般的に語られることはほとんどないように思う。しかし、その重要性が先程の2つの観点からなら伝わりやすいかもしれない。
アスリート型のアイデンティティは、競争に勝つこと、実績を上げることで形成される。その特徴としては、華やかで、定量的、具体的であることだ。例えば、東大卒、外資系コンサル勤務、何かの大会で全国1位、などがアスリート型アイデンティティに分類される。わかりやすくかっこいいわけだ。
その反面、難しい特徴が2つある。競争と賞味期限の短さだ。
アスリート的なので競争に負けてしまえばアイデンティティを簡単に喪失する。地元の高校で常に学年トップの成績を修めてきたという優秀さがアイデンティティの子は、大学に進学したら自分よりも優秀な人間がたくさんいるという現実に遭遇した時にアイデンティティが崩壊する。
営業成績がいつもトップで周りから注目されていた社員が、優秀な後輩の出現によってトップの座を譲ることになれば、スポットライトはその後輩に当たることになるだろう。
アスリート型のアイデンティティは、その環境において自分が周りよりも上にいなければ崩れてしまう脆弱なアイデンティティなのだ。世界で一番人気のスポーツであるサッカーでさえ、メッシやクリスティアーノ・ロナウドなどの超一流の選手はほとんどの人が知っているとしても、超一流のクラブで活躍している他の選手のことに関して一般人はほとんど知らないだろう。
そして、賞味期限が短い。アスリート型のアイデンティティは、周りから見た場合に長く評価され続けるとは限らない。おじさんたちから過去の栄光の話をし続けられて辟易した経験がある人は少なくないだろう。また、良い年齢にもかかわらず有名大学卒であることにしがみついて生きている人もいる。スポーツ界の過去の偉大なプレーヤーさえも、自分の過去の栄光に固執して現在のスポーツのことを批判するあまり、老害扱いされることもある。
人間が生きる上でアスリート型のアイデンティティに頼りすぎているとすれば、非常に危険だ。何故なら、常に周りに競争で勝ち続け、周りとの比較を意識し続けて生きなければならないからだ。そういう世界が好きな人なら良いのだが、かといって勝ち続けられる保証はどこにもない。過剰な競争意識は優越感や劣等感、嫉妬や自己嫌悪とセットになっており、そういう世界観が好ましいと思える人の方が少数派ではないだろうか。
しかし、アスリートが数値的な記録だけではなく、その人自身の存在が周りにとっても影響のある、いわばアーティストになっていったときには、アイデンティティは安定して根深いものとなる。
この記事の投稿からちょうど1ヶ月前、偉大なバスケットボールプレーヤーだったコービー・ブライアントがヘリコプターの事故で若くしてこの世を去った。その日は、世界中のバスケットボールファンに衝撃が走り、NBAファンである私もニュースを見たまましばらく唖然とした。同じくNBAファンの友人からも連絡が入り、お互い現実なのかよくわからないことを共有し合ったが、まもなく彼のLINEのアイコンはコービーになっていた。
コービーの不幸が世界を悲しませた理由は、彼がアスリートとして卓越した実績を残したからということだけではなく、彼自身がもはやアーティストとして昇華されていたからだと思う。
コービーの超越した負けず嫌いで強気な性格、決定的な場面での勝負強さ、誰よりも練習熱心な部分、普通のNBAプレーヤーが生涯達成できない60ポイントを引退試合で決めてしまうスター性など、コービー自体が独特のイメージを持っている、いわばアスリートでありながらも完全にアーティストだった。
日本で言えば、長嶋茂雄さんもその典型だ。記録も確かに素晴らしい内容を残しておられたが、記憶に残るそのプレーや人柄は、もはやアーティストであった。結果的に、長嶋さん以上に記録を残した選手よりも愛された方なのではないかと思う。
アート型のアイデンティティとは
アート型のアイデンティティとはその人の実績や肩書き、経済力などとはあまり関係がない。ただ単に、その人らしさが愛され評価される。あなたの家族や友人は、あなたに実力やお金がなくてもあなたを大切に思ってくれる。それはあなたがあなたであるからだ。
熱狂的に好きなアーティストがいる場合、その人の歌手としての売り上げや知名度などのアスリート的な要素はあまり関係ない。そのアーティストが表現する感性や世界観、人柄など、いわゆるそのアーティスト独特の個性に強く惹かれているから好きだという人が多いはずだ。
私はゲームが好きなので、ゲーム関係のYoutuberを考えてみたい。ゲームを配信するYoutuberに求められるのは簡単に言えば、アスリート的なそのゲームの卓越した上手さとアート的なその人自体の魅力だ。
アスリート的な部分で勝負するのであれば、そのゲームが視聴者から見てとてつもなく上手くなければならない。上手ければ再生数は分かりやすく伸びる。しかし、このアスリート的なアイデンティティに頼ると、自分より明かに上手いプレーヤーが現れた時にもはや自分のチャンネルは伸びなくなる。また、自分がNo.1であり続けたとしても、そのゲームは必ずどこかのタイミングで廃れてしまう。その時が終焉だ。アスリートは自分の種目がオリンピック種目であってほしいと願うものなのだ。
しかし、アート的な展開の仕方をするYoutuberは様々なジャンルのゲームをやる。そして必ずしもそれがトップクラスに上手なわけでもない。しかし不思議と見てもらえる。それは、そのYoutuberにアーティストとしての魅力があるからだ。ゲームの上手さというアスリート的な視点で視聴者から見られていないというわけだ。
観察していると、再生数がとても多いプロゲーマー的な人が、1つのタイトルだけでプレーするのに限界を感じて、ほかのタイトルのゲームをやり始めると全く再生数が伸びないのを目にすることがある。つまり、アスリートだったのだ。No.1である自分に需要があっただけで、そうでない別のタイトルで見る価値がないと判断されたということだ。
しかし、あらゆるジャンルをやりながらも再生数が一定数伸びる人や、ゲームに限らず、メインと完全に別のことをやっているサブチャンネルも伸びている人ようなは完全にアート型のアイデンティティだ。「その人であること」に意味があり、「その人そのもの」が必要とされている。
アスリート偏重の現代
アイデンティティに関して、現代は完全にアスリート偏重だと感じている。
私は、アスリート的なアイデンティティが何も間違っていると言っているわけではない。アスリート側に偏っていて、アート的なアイデンティティが軽視されることに問題意識を持っているだけだ。
世代におけるモチベーションの変化を適確に捉えた『モチベーション革命』では、昔の世代が「達成」「快楽」を幸せの基準にしていたのに対し、今の若い世代は「良好な人間関係」「意味合い」「没頭」を大切にしていると表現している。(2)
よく考えてみると、「達成」に深く結びつくのはアスリート的なアイデンティティである一方、「良好な人間関係」「意味合い」などはアート的なアイデンティティに関連が深い。
例えば、良好な人間関係はアート的なアイデンティティの最たるもので、能力や優劣に関わらずお互いを信頼し合あうということで、自分の居場所や存在を確かなものにしていくということを意味している。
そう、潜在的に今の時代の若者はアート的なアイデンティティを本質的に求めてきていると思う。しかし、我々は小学校から競争を教えられ、アスリート的なアイデンティティは築きやすい環境が整えられているにも関わらず、アート的なアイデンティティが育まれる教育というのは残念ながら全くと言って良いほど体系化されていない。
アート的なものを若者が求めながらも、社会制度はそうなっていないねじれの時期にあるからこそ、アイデンティティについてこれから深く考えられるようになると信じている。
モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book) Kindle版
参考・引用
(1)楠木健、山口周『「仕事ができる」とはどういうことか?』宝島社、2019年
(2)尾原和啓『モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書』幻冬者、2017年
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